大歩危の朝〔7173〕2022/12/05
2022年12月5日(月)薄曇り
雲が多くて少し暖かい、朝。昨日の最終便で高知へ帰ってます。で、会社でふた仕事ほど済ませてから、香川県へ。朝の国道32号線を走って、今は香川県坂出市。
途中、大歩危で、晩秋の吉野川を撮影しました。対岸の崖上、樹々の中を、1両編成の汽車が走っているの、見えますでしょうか。大歩危峡の厳しい斜面に、あの鉄道線路が敷かれたのは昭和10年のこと。最後まで残っていた三縄ー豊永間が開通したことで、高知は、はじめて鉄道で瀬戸内海とつながったのでした。昭和10年。1935年。その開通を記念して南国土佐大博覧会が開催された、という話は、幾度か書きましたね。
昨日は、箱根登山鉄道でした。あの急勾配の箱根に鉄道が敷かれたのは、1919年。大正8年のことなので、この土讃線全通よりも16年前のこと。当時の日本では、鉄道建設技術もどんどん進歩していたのでありましょう。それにしても、当時、現代のように重機を使った工事ではなかった時代に、こんな峡谷に鉄道を敷く、というのは簡単ではなかったこと、容易に想像できますね。すごいよね。
昨日の登山鉄道は、箱根の急斜面の曲がりくねった線路を、ゆっくりゆっくりと走りました。カーブの最小半径が30mと言いますきに、なかなかの急カーブが続きます。今は観光客も多く利用する優良路線だと思います。なぜそう思うかと言うと、使用されている車両が、とても立派だから。昨日のは3両編成で、結構、満席に近い状況でした。
今朝の、この対岸を走る汽車も、理由はわからんけど、ゆっくりゆっくり走ってました。そして、汽笛一声、ロックシェードの中で停まってしまった。大歩危駅の信号待ちでしょうかね。
晩秋、終わりかけた紅葉の中をゆっくりゆっくり走る汽車は、なんとなく昨日の登山鉄道と雰囲気が、似ています。違うのは、土讃線が1両編成の古い古いヂーゼル車両で、乗客はほとんど乗っていないのに対して、昨日の登山鉄道は最新鋭の3両編成電車で、ほぼほぼ満席だったこと。
昨日も書いたように、開業当初は経営的にも苦しかった登山鉄道は、今は優良路線となり、開業当初有料路線であった土讃線は、今は、厳しい。
時は流れ、社会は変わり、人の流れも変わってゆく。でも、たぶん、この大歩危の美しい風景は変わらない。それはそれで、ありがたいことなのかも、知れません。