高知新港の地鎮祭と26年前の高知新港〔7174〕2022/12/06
2022年12月6日(火)晴れ!
高知県の、このホームページによると、高知新港が一部共用開始されたのが平成10年。1998年。なるほど。今から24年前か。
地理院地図の航空写真では、その当時の写真って「単写真」でしか見れんけど、1997年の単写真では、これ。埋め立てがほぼ終わり、港としての機能が整備されてた頃合でしょうかね。その前は、というと、1992年の航空写真がこれ。まだ、なにも、ない。1992年から1997年の間に、この広大な新港が埋め立てられた、という訳だ。
思い出すのは、1996年。そう。まだ工事中の高知新港。共用開始前の、高知新港。まだ若かった僕は、ある団体の事業で、工事中の高知新港を使っての、あるスポーツ大会を開催したのでした。
それは、「太平洋スーパーチャレンジカップ」という大上段の名前がつけられた大会で、世界で初めて、健常者と障害をもった方が一緒に競えるアクアスロンを目指したものでした。それまで、トライアスロンとかアクアスロンとかの競技はあっても、それに障害者の方が参加するのはなかなか難しかった。特に、車椅子ランナーに海で泳いでもらう、というハードルは高かったけど、各方面のご協力で、いろんなルールを制定して、開催にこぎつけたことでした。若かったねー。
開催にこぎつけるまでは、それはそれは大変。それでも、全国から、健常者も、いろんな障害を持った選手も駆けつけてくれて、無事、そして盛大に開催できたのを、昨日のことように思い出します。もう、四半世紀以上前になるのか。若かったねー。
なぜ、高知新港で開催したのか。当時は、公道を使った競技というのは、今よりずっとハードルが高かったのでした。警察へ行ってもけんもほろろ。新しい、公道を使った競技は、基本的に認めない、というスタンスだと言われたあの頃。そこで、広くて公道ではなくて、海に面した場所、ということで選ばれたのが高知新港でした。まだ共用開始してなかったので、公道でもなかった新港内の、道。
そんな訳で、共用前の高知新港で開催した「太平洋スーパーチャレンジカップ」も、その後、場所を変えたりしながら6回くらいは開催されたのではなかったでしょうか。いやー、若かった。
そんな高知新港も、色んな苦難を乗り越えて、充実してきました。新しい港。新しい港としての賑わいに向けて、動き始めている、高知新港。
岩壁沿いにいろんな施設ができたけど、今は、中央部分の盛り土の上の整備が進んでいますね。この辺り。この高さだと、南海地震の津波でも大丈夫なんだそう。そこに、立派な施設が建とうとしてます。
左側のテントは地鎮祭のテント。で、この、盛り土の上の広大な土地。ここに、巨大な冷蔵倉庫や水産加工場そして地ビールの工場ができるのでした。その会社に僕も少しだけちょびっとだけ関わっているので、地鎮祭に参加してきたのであります。
聞くところでは、その地ビール工場にはカフェも併設されて、太平洋を高台から眺めながらビール飲めたりするみたいですね。これは楽しみだ。
こうやって、知らない間に高知新港の風景も変わってゆくのでした。コロナが明けるとクルーズ船も復活して、この界隈、高知の新しい賑わいの場になるのかも、知れません。今日はお天気も良くて、めでたいめでたい地鎮祭になりました。お土産にいただいた豪華弁当が、とてもおいしゅうございました。ご馳走様でした。