箱根の朝〔7172〕2022/12/04
2022年12月4日(日)晴れ!
そんな訳で、今日は関東。昨夜は、東京ではなくて神奈川県に泊まってました。神奈川県に泊まってて、今日は日曜日。と、言う訳で、今朝はここを走りに来ました。箱根だ。箱根。
毎年恒例の箱根駅伝。大人気の箱根駅伝ですが、その中でも注目度が高く、また、劇的なドラマが生まれるのが箱根の山登りですよね。以前、小田原から、箱根5区のコースを途中まで、大平台まで走ったこと、ありました。今から3年前。で、今朝は、箱根湯本から、もう少し上まで走ってきました。宮ノ下。
大平台とか宮ノ下とかは、箱根駅伝でお馴染みの地名だね。なので、走っていると、否が応でもテンションあがる。それにしてもこの急坂を、あのスピードで駆け上がる選手たちって、尋常ではない。いや、すごい。
写真は、宮ノ下で乗った箱根登山鉄道車内。大平台近くの信号場。ここはスイッチバックの信号場になってて、上りの電車との待ち合わせになってました。
こんな山中の、こんな登山鉄道なのに、結構過密なダイヤになってます。そんだけ利用客も多いという訳だ。この写真でもわかるように、運転手さんは、結構若い女性。車掌さんも女性で、女性が働きたいと思うような職場であることがわかるよね。そう。箱根登山鉄道は、今は、こんなに立派な新型車両を導入できる経営基盤があり、そして若い女性が働きたいと思うような職場であったりするのです。
ウィキ見てみると、1919年に開業してからは、なかなか苦難の経営が続いたよう。バスとの競合も熾烈で、関東大震災や大きな事故もあったりして、平坦な道ではなかった箱根登山鉄道。
今日もそうやったけど、結構外国人観光客が多い、箱根。明治維新以来、西洋からやってくる方々には、日本を代表する観光地でありつづけてきた、箱根。
ウィキ見てみると、この、世界でも稀なる 急勾配の登山鉄道が開通したのが1919年。その開業の日、富士屋自動車の乗合自動車の運行が開始してて、双方の開業で駕籠かきや人力車夫には、壊滅的な打撃を与えたといいます。今日、僕がフウフウゼイゼイいいながら走ってきた急坂を、駕籠や人力車が駆け上っていたのは、今から100年くらい前までのこと。すごい。いや、走ってみたらわかるけど、その当時の駕籠かきとか人力車夫とかも尋常ではない。彼らが箱根駅伝5区を走ったら、スピードはともかく馬力は凄まじかったでしょうねー。
などと観光客で溢れる箱根を後にして、今、ロマンスカー車内で、このにっこりを書いてます。
コロナもだんだん、生活の中に。