高知空港の昔と今〔7171〕2022/12/03
2022年12月3日(土)快晴!
よく晴れました。夜明け前の空には満天の星。気温も下がって、山は雪やね。
そんな師走、今年最後の東京出張で、写真は高知空港2Fロビー。目の前にロングライフリープルやひまわりグッズのコーナー。コロナもコロナやけど、空港はそこそこの賑わい。こんな感じで平常に戻っていくんでしょうかね。今、飛行機の中で、このにっこりを書いてます。
スマホに表示されているのは「古地図散歩」。1960代の高知空港で、青丸が現在地。つまり、僕が大学生の頃までは、ここは田んぼだったのであります。まだ、小さかった高知空港。プロペラ機しか飛んでいなかった高知空港は、どちらかと言えば田舎のバスターミナルみたいな風情でしたねー。
高知空港がジェット化されたのは、僕が社会人になる頃。なので、東京で大学生をやっていた時は、まだYS-11でした。
つい、こないだみたいな感覚ながやけどね。ジェット化されたの。
この1960年代の地図に見える「北屋敷」とか「笠松」とかいった集落は滑走路の下に消滅して、今はもう、ない。中学生の頃、名物の数学教師(僕の伯父も習っているので、当時でもかなりのお年でした)が、空港拡張反対を唱えていたのを思い出します。
「北屋敷」とか「土居」、「倉入」といった地名は、そこに千屋氏の本拠があった時代の名残でありましょう。戦国期の話。戦国期以前になると、細川氏が守護代屋敷を構えて勢力を持っておりました。土佐の中心。それ以前、ここが土佐の中心だったのは弥生時代まで遡ります。
高知空港。ジェット化されたのは、ついこないだという感覚。しかしそれは1983年のことなので、来年でなんと40年になるのでした。40年か。
僕が大学生の頃に40年前と言うと、日中戦争の真っ最中。つまり、僕が「ついこないだ」と感じる大学生の頃、僕らの親の世代は、戦争の頃を「ついこないだ」と感じていた訳で、まだまだ戦争の記憶が生々しかったのかも、知れない。
40年を「ついこないだ」とすれば、「ついこないだ」の「ついこないだ」は80年。それを繋いでいくと、そこに千屋城があったのも「ついこないだ」×11くらいになり、「ついこないだ」×50で、ここに西日本最大級の弥生集落があった時代になるのか、などと考えているうちに、僕の乗った飛行機はまもなく着陸体制に、入ります。時間の流れって、不思議やねー。