行幸と行幸啓とこうちまち保育園〔7170〕2022/12/02
2022年12月2日(金)薄曇り
寒いっすね。12月。このまま一気に冬へと突入するのでありましょうか。コロナも気になるけど、良い年末になるといいですねー。
ところで。僕らにはお馴染みの昭和天皇。昭和天皇が、戦後、御自らの発案で、「戦災復興状況御視察」ということで全国をまわられたのは、ご承知の通り。いわゆる「御巡幸」ね。昭和21年から昭和29年までの間に、全国46都道府県をまわられたのでした。当時、沖縄はアメリカの統治下ですき、46都道府県。宮内庁にはこんなページがあり、いつ、どこを訪れたのかがわかるように、なってます。
これによると、高知県を訪れたのは昭和25年だ。なるほど。僕は、少し勘違いしていた。
高知市の中心部近くに、社会福祉法人の「こうちまち保育園」という保育園があります。僕は、父の代から少し関係させて頂いており、今日も、その用事で立ち寄っていました。可愛い保育園児を見るのは楽しいねー。本当に元気をもらえるし、癒されます。
で、こうちまち保育園さんには、戦後、天皇皇后両陛下が行幸啓され、その際の写真が飾られております。また、その時に詠まれた御歌が石碑になり、その拓本も飾られておりますね。現在の理事長先生は、その当時まだ若い新米の保育士さんやったけど、ハッキリと覚えておられるとのこと。両陛下の前で子供達と「リズム遊び」というのをやって、とても緊張したのを覚えているそうです。すごい。歴史の証人だ。
僕は、今まで、その行幸啓を、「御巡幸」の際だとばかり思っていたのでした。違いました。この概要ページの「沿革」を見ると、「高知街保育園」の設置許可が下りたのは昭和26年。御巡幸で天皇陛下が高知へ来られたのが昭和25年なので、計算が合わんのですね。
で、更に宮内庁のホームページを見てみたら、あった。ありました。
昭和28年10月、天皇皇后両陛下は、秋季国体御臨席の為に、四国四県を訪れておられるのでした。高知街保育園を訪れたのは、その際だ。
この沿革にも「行幸啓」と書いてます。天皇陛下が外出されることを「行幸」、天皇皇后両陛下が揃って外出されるのを「行幸啓」と呼ぶ、などという話、知ってました?僕は迂闊にも知らんかったですが、とにかく高知街保育園を訪れたのは「御行啓」なので、お二人揃ってのことでした。お二人揃ってのお写真も残ってますきんね。
御巡幸で「行幸啓」されたのは、最後の北海道だけ。それは、国体に合わせて行ったからでした。
そんな訳で、こうちまち保育園は、開園直後の昭和28年、国体の際に、昭和天皇と香淳皇后をお迎えしていたのでした。その歴史を、この保育園遊戯室の拓本から見て取ることが、できます。
保育園乃 わらはべあまた 楽しげに 遊ぶを見れば 心うれしも
昭和28年の「行幸啓」は、国体に際してでした。
「御巡幸」は、基本、天皇陛下ひとりで行かれた「行幸」であったこと。そして戦災復興状況御視察である「御巡幸」は陛下自らの発案であったこと。
そこに、昭和天皇の、なみなみならぬ思いが伝わってくる気がします。