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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

竹芝桟橋と八丈島の記憶〔8117〕2025/07/06

竹芝桟橋と八丈島の記憶

2025年7月6日(日)晴れ

そんな訳で東京。東京も暑いねー。蒸せます。不快指数は高知よりずっと高い感じの、東京。

昨日は『ミルク1万年の会』10周年」で、「ミルクで繋がる交流の集い2025」が開催され、出席してました。僕の講演はともかく、業界の様々な分野で頑張っておられる皆さんが集まっており、大変勉強にも刺激にもなったのでした。貴重な時間を、ありがとうございました。山下社長のお話はさすがでしたねー。

さあ、今日はこれから高知へ帰って、ライブの前座だ。これまた貴重な経験やけど、お客さんの白い目が怖いです。まあ、せっかくなので精一杯やるしかございません。

 

ここは竹芝桟橋。早朝、走ってきました。浜松町の駅から東へ数百メートルにある岸壁。都心に最も近い旅客船ターミナルでしょうね。Googleマップで見たらこんな感じ。「隅田川河口」という位置付けになるようです。

東京湾岸には、かつて、東京都港湾局専用線という鉄道路線がたくさん引かれておりました。ここにも、山手線や汐留駅、築地などとつながる「芝浦線」「日の出線」が走っておったんですね。1985年まで。なるほど。僕はその路線を見たはずやけど、全然記憶にありません。

 

それは恐らく1981年のこと。大学2年生の時やったと記憶しますが、僕は、大学の野草を食べるサークル「なべの会」のゼミ旅行で、竹芝桟橋から「すとれちあ丸」に乗って八丈島へと向かったのでした。なべの会では、野草などの知識が豊富な先輩が自分のやりたいことをやる「ゼミ」をつくり、その趣旨に賛同したメンバーが「ゼミ生」となる仕組みでした。いくつもの「ゼミ」の中で僕が所属したのは「村田ゼミ」というグループ。とてもとても野草に詳しい村田先輩がつくったゼミでした。

八丈島では、八丈富士に登山し、八丈島独特の野草を採取、調理して食べたりしました。八丈富士のてっぺんからの眺めが最高だったこと、覚えてます。

ただ、行きがけの船では、まだ天気が悪くて波浪注意報発令中。あまりにも「すとれちあ丸」が揺れたので、船酔いでフラフラになってました。八丈富士登山口近くの小屋みたいなところで雨宿りと休憩をした後、まだ船酔いのまんま登ったのではなかったでしょうか。

登るにつれ、天気は回復、頂上からの見事な景観を見ることができた、ということだったと記憶します。飛行場が見え、YS-11が眼下を離陸しているのが見えました。船が揺れたので、飛行機を羨ましく指を咥えて眺めたことでした。

 

船が「すとれちあ丸」だったことは、よく覚えてます。ウィキで見ると、まだ就航したばかりの新造船だったんですね。2002年まで八丈島航路に就航していたようです。

 

あの時の竹芝桟橋の記憶は、まったくありません。ただ、狭い待合室に旅客がごった返してた印象はあります。今はとても立派なターミナルですが、まったく記憶がない。それもそのはず。今朝の写真は、この十字の場所から撮影したものやけど、僕が「すとれちあ丸」に乗った頃の航空写真は、これ。海の上だ。当時とは全然違ってしまった竹芝桟橋。

現在の八丈島行きの船は、夜、ここを出発して、朝9時前に八丈島到着。なので、今は間も無く八丈島、という海の上を航行中なので、ここにはいません。

 

あの40年以上前の記憶にあるのは、船酔いと八丈富士の景色だけ。でも、貴重な経験でした。今朝、早朝の竹芝桟橋には当時の面影はまったくなく(当たり前だ)、静かな静かな、そして蒸し暑い風景。向こうに、当時はなかった(当たり前だ)レインボーブリッジが見えています。

 

さあ。午前中には高知へ帰り、いよいよ「前座」。頑張ります。ホントに、本当に、温かい目で見守って欲しいと切望しています。


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