葉牡丹のオムライス〔8031〕2025/04/11

2025年4月11日(金)晴れ!
そんな訳で、今日も昼から葉牡丹。高知県中央酪農組合連合会という、弊社に生乳を出荷してくれている酪農家さんの組合の、総会。総会をやってから、当然のように宴会。土佐の宴会。葉牡丹のおきゃく。
今は「ひろめ市場」もあるけど、やはり昼間から飲む、と言えば昔から葉牡丹だ。
そして葉牡丹と言えばオムライス。高知県人は、葉牡丹でオムライス食べながら日本酒飲んだりします。この堺町界隈には銀行の支店とかも多いけど、高知へ赴任して、オムライスを食べながら日本酒が飲めるようになれば、立派な高知県人の仲間入り。
オムライス。これは、やはり日本人が考案した食べ物だろう、と思って調べてみたらそうでした。日本固有の「洋食」、オムライス。
その発祥にはいくつかの説があるみたいですね。ウィキには、東京銀座「煉瓦亭」説と大阪心斎橋「北極星」説が並べられてました。
銀座の方が1901年と早いけど、それは「ライスオムレツ」というまかない料理から始まっており、しかもまだトマトケチャップが普及する前のことなのでケチャップライスではない。
心斎橋説では、現在の「北極星」の前身である「パンヤの食堂」というお店が発祥、となってます。ここに詳しいですね。能登半島のつけ根、宝達志水町出身の北橋茂男氏が開業したお店。常連客ん小高さんが、いつもいつもオムレツとご飯を食べていたのを見て、毎日同じメニューでは可哀想、ということで、「マッシュルームとたまねぎを炒めたケチャップライスを薄焼き卵でくるんで出した」そう。小高さんに「おいしいやん!なんやこれ?」と聞かれた時に咄嗟に「オムレツとライスを合わせて、オムライスでんな」と答えたのが、オムライス誕生の瞬間だった、と言います。なんか、こっちの方がいい感じでんな。
そしてその瞬間は、大正14年のこと。つまり1925年で、丁度100年前だ。心斎橋説ならば、今年はオムライス誕生100年という訳でんな。なるほど。
その100年の間に、日本人にとっては、オムレツよりもオムライスの方が馴染みあるメニューに育ったと言えるのではないでしょうかね。子供の頃からコックドールのオムライスは大好きでした。
そうそう。1970年の大阪万博へ行って、ソ連館併設のモスクワレストランで「オムレツ」なるものを食べたけど、恐らくはそれが人生初オムレツでした。オムライスはよく食べてたのに、オムレツは万博で初めて食べたのでした。
大人になると、葉牡丹のオムライス。いやね、近年はふわとろオムライスとか、色々と凝ったオムライスもあるけど、この、昔ながらのオムライスが僕ら昭和世代の心の琴線を刺激するのであります。
さあ、今日も長丁場。高知の酪農家さんとの、楽しく有意義な時間を過ごしますね。