土佐神社の象さん〔7087〕2022/09/10
2022年9月10日(土)晴れたり曇ったり降ったり
時折降る雨で、かなり蒸し暑い土曜日になりました。コロナもちょっとは落ち着いてきたようで、このまま静かになるといいですねー。いや、ホント。
ここは久々の土佐神社。入り蜻蛉形式の、元親が再建したとされる社殿が、参拝する者を圧倒してくる土佐神社。さすがは土佐一宮で、その存在感、オーラは、なんか別格。
今日はその土佐神社の元親再建について研究している人物と一緒に参拝し、いろんなこと教えてもらいました。
ひとつは、再建された時期。現在では、信頼できる文献によると、永禄10年(1567年)に再建に着手して、元亀2年(1571年)に完成したと見るのが正しいとされてます。その際、土佐各所の材木が集められ、なかなかの大事業であったこともわかってます。
現在の土佐神社境内には、説明板がいくつかあるけど、どの説明板にも「元亀元年再建」とはっきりくっきり書かれています。確かに元亀元年は、再建の真っ只中ではあるけど、何故、再建年次を「元亀元年」に限定したのかは、謎なんだそう。なるほど。神社や寺院の説明板って、こういうこと、よくありますよね。土佐神社のは完全に間違っている訳ではなく、期間限定が謎なだけやけど、はっきり間違っているものも、あります。
大豊町にある、国宝豊楽寺薬師堂。その国宝前の説明板に「天正十六(桃山期)1547年」と書かれてます。天正16年は1588年だから、41年ずれてますな。これが50年とか100年とかズレてるのならなんとなくわかるけど、41年という微妙なズレが悩ましい。
潮江天満宮では、「高視講社中」であるべき説明板に「高視公社中」と書かれてますねー。高視公の社中だと意味が通じなくなるけど。
まあ、こんな小姑みたいなこと言うててもいけません。大切なのは、敬う心。面倒臭いこと言うている場合ではない。大切なのは、自分の目でちゃんと観察し、調べること。
そんな訳で、土佐神社拝殿をよくよく眺めてみました。すると、今まで気付かなかったものが。屋根の下。懸魚の裏手。この写真だとわかりにくいけど、どう見ても象さんに見えます。象さんが鼻を曲げ、口を開けている。初めて気付いたぞ。
神社建築で象さんと言えば「象鼻」。会社近所の上岡八幡宮さんの「貫」には、見事な「象鼻」があります。元々、柱から「貫」が突き出たところを「木端(きばな)」と呼んでて、「木鼻(きばな)」と呼ばれるようになったと言います。で、その部分に装飾が始まったと。なんで象さんなのか。それは、「鼻と言えば象さんやろう」という安直な発想だったのかも知れない。知らんけど。個人の妄想です。
しかしここの象さんは真正面、ど真ん中で口開けてます。「貫」ではなくて、真ん中。懸魚の裏。これはいったいどういうものなのか。どういった役割なのか。なんの装飾なのか。そして重要なのは、元親再嫌のときから、あそこで口を開けていたのか、という問題。
現地へ行って、自分で気付いた謎というのは、なかなか楽しい。いろいろ想像して、それをブログに書いたりするのも、また、楽しいけど、それが間違っていたりしたら、その間違った情報が「真情報」として理解されて世の中に広まったりすることもあるネット社会なので、注意せんといかんねーとシミジミ思う、土曜の朝。
取り敢えず、妄想を書くときは、「これは個人の妄想です」と書いておかんといかん時代になりました。