本当の風景を想像する〔7086〕2022/09/09
2022年9月9日(金)薄曇り
ここは鎌嶋。現代の高知にはそんな地名は残っていないけど、鎌嶋。
地理院地図で見ると、この十字の場所で撮影したのがこの写真。左手の段差の上に、ホームセンター「ブリコ」さん。その西側にはヤマダ電機。
この段差は、ここがかつて鎌嶋という小山だった頃の痕跡。今昔マップで見たら、1960年代までは小山として残っていること、わかります。その後小山は取り崩され、整地されてホームセンターや家電量販店などができた訳だ。そもそもは、田んぼの真ん中に突き出た小山、鎌嶋。
「嶋」とついてるように、その小山は、ここが浅い海であった時代には島だったのでありましょう。この界隈、海と港と海岸があったことが、現在に残る地名からも想像できます。
ここから北へ行くと鹿児。かこ。このカコは水主で、船に乗って仕事する人たちが住んでたから水主でカコで鹿児。その北はその名もズバリ大津であり、舟戸。
ここから南へ行けば長崎。恐らくは、介良富士から北西に突き出た岬で、長崎。さらに南へ行くと、五台山麓に屋頭、福浦、そして東崎。
鎌嶋は、鎌のような細長い島だった。その小山は、かつては里山で、そこに生えた草や樹木は燃料や肥料に使われたことでしょう。なので、ハゲ山に近かったのではないかと想像します。たぶん、てっぺんには祠や墓所があったのではないか。
写真右手に見える山は、高天ヶ原山。標高100mちょっとの里山で、藩政期頃には、これもハゲ山に近かったのではないかと想像します。
あのてっぺんには高天ヶ原古墳群。古墳がたくさんあります。現在は鬱蒼とした森の中の古墳群やけど、これも、そこに有力者が埋葬された時代には、見晴らしの良い山のてっぺんだったと思われます。そう。有力者は、鬱蒼とした山中に墓所をつくったのではない。周囲を睥睨できる見晴らしの良い場所に、つくったのだ。
鎌嶋はなくなり、この段差に微かに痕跡が残るのみ。
高天ヶ原山には樹々が生い茂り、古墳群は鬱蒼とした森の中。
かつてそこはどんな風景だったのか。お墓をつくった場所の風景はどうだったのか。想像力を掻き立てないと、本当のこと、本当の歴史は見えてこない。