八洲夫帳〔7088〕2022/09/11
2022年9月11日(日)薄曇り
昨日、土佐神社社殿の、長宗我部元親による再建年次について、元亀元年と書いている件について書きました。その根拠出典が謎だ、と。大変失礼しました。ありました。出典はたぶん、「土佐物語」。江戸時代,、18世紀になってから成立した軍記物で、読み物としては面白いけど、信頼性については少し疑問視されている「土佐物語」。神社に残る文書では、再建社殿の完成は元亀二年となってるけど、その元亀二年には鐘楼の金属を集めたみたいなこと書いているらしいので、ひょっとしたら建物が建ったのは、元亀元年なのかも知れませんね。しかし。江戸時代の初期、元親と同時代に生きた高島正重という人物が書いた「元親記」には、元亀二年棟上とあるので、そっちが正しそうな気もする日曜日。まあ、真相は、わかりません。ただ、元亀元年という年号の出典は、わかってきました。歴史ってなかなか難しい。
さて。ご承知の通り、弊社は今年で創業100周年。お蔭様で100周年。
創業したのは田野町で生まれた吉澤八洲夫。明治30年、当時の田野村で、村役場の助役、吉澤文治翁の息子に生まれたのでした。田野で育ち、高知市へ出てきて高知商業学校へ通い、卒業後は銀行員として働いた後、1911年5月20日、土佐郡秦村で乳牛と山羊の飼育、搾乳を始めることになります。
こんな資料がありました。その名も「八洲夫帳」。八洲夫が生まれた際に、父によって記された覚え書きみたいなもの、らしい。表紙にはこうあります。
明治丗年一月七日夜出生
旧廿九年十二月五日
但午后十一時出産ニ付翌日トス
八洲夫帳
吉澤儀
こういうのも既に「歴史資料」ですな。当時の風習などもよくわかる、貴重な貴重な歴史資料。この帳面には、出生の状況、どこのどなたにどんなお祝いを頂いたのか、などなどが詳細に記載されています。字が上手なのと、その記載内容の詳しさ、几帳面さに驚かされます。さすが、役場生活数十年。書いたのは八洲夫の父で、僕から言えば曽祖父になる吉澤文治翁。そう。僕の名前は、この字が綺麗で几帳面な文治さんから頂いているのでした。字が綺麗で几帳面な、ね。ああ。
お祝いに頂戴したのは、鯛とか幟とかフラフとか様々なもの。自分ちで幟立てるのに購入した資材リストもありました。
左側は、八洲夫の父、文治さんが役場を退職した際に、たくさんの人に書いてもらった送別の書。半紙に、短歌や俳句に思いを込めて、それぞれ自筆でしたためておりました。昔の人って、すごいね。すごい。字も上手やし、みんながみんな短歌に俳句ときたもんだ。ほんの100年ちょっと前のことやのにね。
昔の資料は、こういうことがわかって楽しいし、身が引き締まる。
ひまわり乳業も創業100年。100年前のことはわからないことだらけで、当時の雰囲気も想像するしかないけど、先人の努力に敬意を表し、気を引き締めて、頑張っていく所存です。