八洲夫翁の125年〔7089〕2022/09/12
2022年9月12日(月)晴れ
秋晴れ。朝、蝉の声はもう聞こえてきません。秋らしい虫の音が窓の外から聞こえてくる朝。一昨日夜が中秋の名月で、今朝もまだまだまんまるいお月様が、夜明け前の東の空高く、輝いています。秋の薄い雲の向こうで輝く満月。そのすぐ横に木星も見えますね。いや、なんか、秋です。
もちろん日中は夏のような日差しが暑いけど、朝晩めっきり過ごしやすくなりました。
ここは本社棟の前。100年前に弊社を創業した吉澤八洲夫の胸像が、お月様に照らされていました。昨日ご紹介した「八洲夫帳」を読むと、この胸像になった人物、吉澤八洲夫翁出生時の雰囲気を、ものすごい臨場感で感じ取ることができます。まず、記載されているのが、どなたからどんなお祝いの品を頂いたかのリスト。筆による崩し字なので、現代の僕らにはなかなか読みづらいけど、類推してみました。
一、小アヂニ十 ○◯
一、大ホヲボヲ一ツ ○○
から始まって、集計してみると、鯛が大中小合わせて5尾、鰹も5尾で、その他たくさんの食べ物を頂戴しています。「けんぴ一袋」というのもありました。食べ物以外では、幟やフラフの類も多いねー。おそらくは、この頂戴した夥しい食材を使って、「おきゃく」をやったことでしょう。家の周囲にはたくさんの幟やフラフを賑やかに旗めかせて。子供が生まれるとは、そういうことであった時代。長男なので、時代的に、特に大切にされたでありましょうか。
昨日紹介した表紙にあるように、八洲夫翁が生まれたのは明治30年1月7日夜11時で、出生届は翌日。明治30年は1897年なので、今から125年前、ということになります。その時代の習俗、習慣が垣間見えて楽しい。
この胸像になった吉澤八洲夫翁が生まれて125年。つまり、八洲夫が銀行をやめて乳牛と山羊を飼い、そのミルクの販売を始めたのは25歳ということになります。その当時、勤務していた銀行では支店長だったと言いますから、なかなか優秀だったのかも知れません。明治の土佐で教育者として有名だった横山又吉先生に、目をかけられていたとも言います。
改めて、満月に照らされる吉澤八洲夫翁の胸像を見ながら、八洲夫翁の時代に思いを馳せながら、翁の想い、理想を受け止め、実現していかんといかん、と思うのでした。そろそろ夜明け。仕事を始めよう!