南海地震、日本人の宗教観など〔7090〕2022/09/13
2022年9月13日(火)晴れ
今朝は高知新聞ネタ。右側。和歌山県串本町の海岸に転がる巨岩列を解析して、そこを、史上最大級とされる宝永南海地震を超える規模の大津波が襲ったことがある、という研究成果の記事。転がる岩石の解析、という今までなかったアプローチで、なかなか興味深いですねー。
以前から、かの岡村名誉教授が提唱している過去の巨大地震津波が、別の側面から裏付けられたと言えるでしょうか。岡村先生は、海岸近くの池の地層などを分析して、今から2000年ほど前に、宝永地震を超える津波が高知の沿岸を襲ったと言うておられます。おそらくそれは、間違いない。
1707年に発生した宝永地震は「史上最大」規模の大地震であったと言われてます。そもそもその「史上最大」というのが誤解を招きやすいけど、「史上」の「史」って、「有史以来」の史と同じで、記録として歴史が残され始めて以来、という意味。人類が記録してきた「歴史」は、地質学的年代からすればアッと言う間の話で、つい最近のことでしかありません。
当然、それ以前には長い長い歴史があった訳で、そこで宝永地震を超える巨大地震が起きてきたのは、どう考えて間違いない。
そういう「想定」を「想定外」として認めてきたことが、東日本大震災の悲劇を生み、その反省のもとに対策が考えられるようになったのは、ご承知の通り。
そんな訳で、次の南海地震が「超巨大」なものになるかならないかは、誰にもわからない。そういう星のそういう国で、僕らは暮らしています。
そういう国の宗教観の話が、左側のコラム。かの柳田國男先生が、日本人の宗教観について書いたことを紹介してます。「日本古来の『先祖』とは、自分達が祀らなければ誰も祀る人がいなくなってしまうような、おのおのの家と深くつながる神々のことであり、系譜をたどると高名な1人にたどり着くようなそれではない。」と述べた柳田國男。これを書いたのが昭和20年。東京大空襲の直後という時代を考えれば、古来の日本人の信仰とは似ても似つかない国家神道を創り上げて、国家の統制を図ろうとした政府を批判しているのは明白。そう。日本人の宗教観は、そんなに浅いものではないのである。
そして柳田は、近世より「先祖の声を知らねば災いが起きるといった脅しを使う商売が目立つようになった」と警告し、「それを警察権力で取り締まるだけではより悪質なものの暗躍をかえって生み出す」と述べる。「先祖や霊が、日本の中でどう息づいてきたのかを学び、その上で良き社会を創造せよ。」と。
深いね。深い。
現在巷を賑わしている話で言えば、この状況のなかで、「先祖崇拝など迷信に過ぎず、信仰心は危険だ」などと考えるのではなく、宗教を気味わるいものと思うのではなく、今一度、日本人の宗教観によって培われてきた実践の中で祖先が込めてきた思いを大切にし、「良き社会」を創造していくことが肝要なのではないか。このコラムを書いた人類学者の磯野真穂さんが、そんな感じでまとめています。なるほど。
早朝読む新聞は、人生を豊かにする。今日も脳みそが豊かになった気がしつつ、仕事を始めます。気のせいかも知れんけど。