金剛山の理由と堰の理由〔7091〕2022/09/14
2022年9月14日(水)晴れ
まだまだ暑いねー。暑い。暑いですが、台風が来てます。この週末、気になります。何事もないことを祈るばかり。
写真は今朝、丁度6時頃の物部川。この十字の場所から三宝山に昇る朝日を撮影してきました。今の季節、つまり春分の日に近い季節、お日様はここから昇っています。
三宝山は別名金剛山。たぶん、昔は金剛山と呼ばれていたんだと思う。言い伝えでは、あの頂上に「金剛道寺」があり、竈門神社が鎮座していたと言います。その竈門神社は三宝社とも呼ばれ、だから三宝山。
金剛道寺は金剛童子。このページによると、胎蔵界曼荼羅に登場する護法神。日本では、修験道、山岳密教とかで崇められた神。なので、あの山は、古く修験道の山であったと想像できるのであります。知らんけど。
金剛とは、仏教用語では金属中で最も固いものを言います。でも、その語感からは、なんか金ピカに光り輝く固いもの、というイメージ、ありませんか?現代人の感覚かも知れんけど、昔から「金剛」が光り輝くイメージも併せ持っていたとするならば、この夜明けの風景の意味も、違ってきます。
何を言いたいのかと申しますれば、香長平野からは、季節によって場所が変わるけど、あの山から朝日が昇り、光り輝いて見える訳で、その風景はまさしく「金剛」であり、金剛童子がおわします金剛山になった、というストーリーが妄想できる訳ですね。
いや、この神々しい日の出は、金剛を連想させてくれて余りある。そんなこと思いながら、三宝山スカイパークを思い出しておりました。
こないだも書いたけど、今、てっぺんからの眺望が見事な山って限られてて、三宝山、いや、金剛山は貴重。まだ、再開発は進んでないけど、進むといいね。
手前は物部川の瀬。川を斜めに横切るように砂礫が堆積してできた、自然の瀬。昔、我々の先人は大きな河川に堰を構築して灌漑や治水を行ってきた訳やけど、何もない川に突然巨大な堰を構築した訳では、ない。恐らくは、こういった自然地形を利用したんだと思う。僕が野中兼山なら、こんな場所に堰をつくるもの。
山田堰や町田堰は、たぶん、元々こんな感じの瀬になってて、それを利用したものだと想像できます。
金剛山に金剛童子が住んだのは、香長平野から見た日の出がこんな風景だったから。
先人が巨大な堰を構築したのは、元々の自然地形があったから。
歴史には、それぞれちゃんと理由があり、その延長線上に僕らは暮らしている。そんなことを思う朝。
台風、来んかったらいいのにね。