金剛山と金剛関〔7092〕2022/09/15
2022年9月15日(木)晴れ
このところ朝晩は涼しい日が続いてたけど、昨夜は蒸せました。暑かった。台風の影響でしょうかね。来んかったらいいのにね。せっかくの連休やし。
さて。昨日、金剛山のこと書きました。物部川の土手から見眺めた三宝山の日の出。その神々しさは、金剛山と呼ぶにふさわしい、という話。
今朝は会社の本社棟2階から、三宝山と申しますか金剛山を眺めてみました。今の季節、会社から見ると日の出はこの場所から。
金剛山。日本で「金剛山」というと、この金剛山が有名。大阪と奈良の間、標高1125mの山で、古くから信仰の山として大切にされてきた歴史を持ちます。特に、役行者が修行した山としても有名で、つまり、修験道の山として有名であった訳で、そういう意味でもこの三宝山と共通するところが、ありますね。
ウィキ見ると、その、奈良の金剛山は、高間山、高天山とも呼ばれたと書いてます。おう。高知の高天ヶ原山も、高天ヶ原であったり高間ヶ原であったりするので、一緒だ。あの山が修験道の山であったとは聞かんけど。どっちかと言えば里山やし。
で、金剛山。金剛という名前で思い出すのは相撲取りの「金剛」関。優勝経験もあり、三役級の力士やったけど、大関にはなれなかった金剛。いや、そんなに大柄ではなかったけど、どちらかと言えば細身やったけど、抜群の運動神経でバネのある相撲を取ってたと記憶します。結構好きな力士だった。
あと、そのほかに子供の頃好きだったのは藤ノ川関。小兵やけどしぶとい取り口で、後の鷲羽山とかの系譜やね。ウィキ見たら、今もお元気で角界で活躍中なんだとか。藤ノ川と言えば服部を思い出す人も多いかも知れんけど、僕に取っては子供の頃応援した、あの藤ノ川。
その藤ノ川の本名は森田で、関脇金剛の本名は北村で、旧姓は吉沢。入門してから重量に上がるまでは「大吉沢」という四股名だった、金剛。
藤ノ川関が、土俵の外では地味でおとなしかったのとは対照的に、金剛は、その奔放な物言いで世間を騒がせました。このウィキにも「金剛語録」という項目で紹介されてるくらいですきんね。大吉沢くんは、ちょっと、おちゃめ。
最近あんまし相撲を見んなったけど、僕らが子供の頃、相撲は娯楽の王様だった。夕方は、相撲の中継にかじりついていた。で、小学校の休み時間には相撲に興じ、教室の中でも相撲に興じ、小林塾の前の歩道で相撲に興じていたあの時代。
学年で相撲が一番強かったO君は、今、高知の事務機器業界で活躍中で、僕に4の字固めをかけてエツに入っていたそのお父さんも、元気です。あれは痛かった。