安藤百福とスティーブジョブズ〔5362〕2017/12/20
2017年12月20日(水)晴れ
今朝は大阪。昨日の午後、やって来ました。大切なお客様との懇談。充実した時間を過ごさせて頂きました。
で、泊まっていたのは豊中。大阪空港のすぐ近く。最寄りの駅は蛍池だ。今朝は少し遅め、6時から走り始めて阪急宝塚線沿線をたつくってきました。寒い寒い。でも心地良い夜明けの北摂。
阪急池田駅の近くで、立派な建物に遭遇。何かと思うたら、なんとカップヌードルミュージアム。正式名称は「安藤百福発明記念館」なんだそう。すごい。ちょっと立派過ぎやしませんか、というくらいの建物が、阪急池田駅近くの広大な場所に建っていた。
東京で都電荒川線沿いを走っていて、樋口一葉のこぢんまりした記念館に遭遇したのとはエライ違い。樋口一葉記念館とは極めて対照的な、カップヌードルミュージアムとの遭遇でした。
もちろん営業時間ではないので入れませんが、中には、かの安藤百福さんがチキンラーメンを開発したという小屋も再現されているんだとか。
安藤百福。
台湾生まれで、戦前にはすでに、繊維問屋、貿易商社、光学機器製造などで成功していました。やはり、只者ではなかったのだ。戦争で工場や会社のすべてが焼けるも、すぐに立ち上がって百貨店経営や製塩事業を始めたというから、すごい。鉄板を海岸に並べて海水を流し、塩を作る。この独特の発想と実行力は、のちの即席麺開発に通じますな。
あるとき、懇願されてある信用組合の理事長に就任するも倒産。戦後蓄えた資産のすべてを失う。残ったのは池田市の借家だけ。
そしてそこで、インスタントラーメンの研究を始めた訳だ。
現在、即席麺市場は1000億食。その始まりは、このようなドラマチックなものでありました。その市場規模に鑑みると、このミュージアムの立派さは理解できてきますね。いや、たいしたもんだ。
戦後、GHQに捕まって巣鴨プリズンに収容されたり、無一文になったり、とにかく出入りが激しい。でも、瞬く間に立ち直り、それ以前よりも一段上の成功へと突き進む。
想い。信念。実行力。
以前、日経新聞の「私の履歴書」で、安藤百福自らが振り返った人生を読んだことあるけど、改めてすごい人物であったことを、このミュージアムの巨大さとともに実感しました。
あの銅像が手に持っているのは、たぶん袋入りのチキンラーメン。袋麺の世界を創造するも、追随する企業が林立。そこで強烈な競争が繰り広げられる中で、カップヌードルを作って一つ先へ行く。
それが世界に広がり、地球を覆う新しい食品となる。新しい食文化の創出、ということでは、スティーブジョブスに通じるものがあるのかも知れません。
ジョブス。百福。
どっちも、すさまじい。新しい文化は、そんな人物が創造し、切り拓いていく。