奉納相撲とインバウンド〔4507〕2015/08/18
2015年8月18日(火)曇っちょります
相撲ネタが続きますが、今朝の高知新聞に、一昨日の上関阿弥陀堂奉納相撲の記事が載っちょったので、またまた相撲の話。
高新さん、取材にきちょったがですね。気付きませんでした。
我々は、9時前には帰ってしもうたので、あの後どのような取り組みになっていったのかは知りません。記事によりますれば、最後は、相手を倒した瞬間に次の相手が土俵に上がり、すぐに試合が始まる「飛びつき」というのが行われたそうだ。
あの、上関の力士たちが、フラフラになりながら相撲を取る風景。想像するだけで、面白そう。今度は最後まで観たいもんだ。
記事によりますれば、江戸時代に始まったというあの奉納相撲も、昭和30年代、40年代には中断しちょったと言います。地元有志が復活させ、今がある。素晴らしいこと。
嘗ては、各所で行われておった奉納相撲。
昨日、本山町出身の方と話しておりましたら、本山町だけでも、奉納相撲をやる所がたくさんあった、ということです。で、高知市内の方から現役相撲部員とかがやって来るようになり、賞を総ナメにしていくようになって、地元の力士が勝てんという状況が出現し、そういった相撲部員お断り、という時代もあったにかありません。なるほど。
ここは、南国市篠原の若宮八幡宮さん。東工業の西側のお宮さん。ここにも、このような立派な土俵。上関のように屋根はありませんが、今でもしゅっと相撲が取れる土俵。ここでも、嘗て、奉納相撲が行われておったのでしょうか。この整備のされ方を見ると、今でも子供の相撲はやっておるのでしょうか。
この若宮さん。元々、篠原村にあり、舟入川の開削で、この北の坂折山の東側に遷座されちょったと言います。野中兼山さんにより万治三年(1660年)に完成したのが舟入川。その頃の話。
で、延享元年(1744年)に、この場所に再び遷座。
最初の若宮さんは、舟入川の界隈とすれば今よりもちょっと北にあったのでしょうか。
ここから南へまっすぐ行くと、レストラングドラックさん、その南に船岡山。船岡山には住吉大明神さんが鎮座。
以前にも書きましたが、その住吉神社さんの祭礼における相撲は、土佐藩東部最大級のもので、こじゃんと盛大に開催され、賑わいを見せたと言います。藩主も観に来た、というくらい盛大なもの。
なので、藩内の力自慢が集結してきた大会であったでしょう。今はもう、土俵もありませんが。
そこから遠くない、この若宮さんの、この土俵では、どんな相撲が行われておったでしょうか。篠原村の、地元の人々による、こないだの上関みたいな奉納相撲であったでしょうか。
小生が小学生の頃。
野球が一番人気であったとは言え、相撲も人気がありました。自分たちも、よく、相撲を取ったもんだ。とにかく、道具が何も要らない。運動場や砂場(そう。砂場でもやったやった)に丸い円を書けばOK。
何かと言えば、相撲を取っていた、あの時代。
上関でも、10年以上のブランクから復活させた、という奉納相撲。
まだ、県下には、昔は奉納相撲に出ておったもんだ、というおじいちゃんがたくさん残っちゅうと思います。今のうちに復活とかできんでしょうかね。いや、面白いと思いますよ、絶対。
上関の奉納相撲、ホントに面白かった。地域が一つになって盛り上がる。ご高齢の方も若者も、年齢を超えた濃い交わり。これだ。これが地方の活力だ。
夏、あちこちの集落のお宮さんで、奉納相撲をやりゆう風景。週末は、どっかのお宮さんで、必ず奉納相撲。
そんなことになったら。
欧米系の外国人観光客は、高知へ押し寄せて来ます。ああ。これぞインバウンド。朝っぱらから妄想が暴走する。