嘗ては、ここにもあった相撲〔4506〕2015/08/17
2015年8月17日(月)小雨
今朝は降ったりやんだり。
それにしても昨夜の奉納相撲は面白かった。雨も降りそうで降らず、涼しい快適なコンディションにて観ることができた、本山町上関あみだ堂奉納相撲。
段取りを少し説明しましょう。
夕刻から子供の部の相撲大会。その後、土俵の上に板を敷いてステージとし、カラオケ大会。この辺のアバウトさがエイ。で、それが終わるといよいよ奉納相撲のはじまりはじまり、となります。
保存会会長さんの挨拶があって、前相撲。
土俵の真ん中に、土俵の中の土が掃いて集められ、土盛りに。そこに塩を撒き、その東西に一升瓶。もちろん酒は桂月ですな。
東西から力士が入場し、蹲踞して、それぞれが一升瓶を開封して、ラッパ飲みをする。それから、土俵四隅に座る審判のところへ一升瓶を持っていき、審判もラッパ飲み。
その後、中央の土が土俵全体に均され、塩を撒く。
力士が、はっけよいの掛け声で左四つ、右四つ、と組む。
ここまでが前相撲ですな。
それから、東西に分かれて、誰でも良いので出てきて相撲。3連勝すると、賞金がもらえて引っ込む。
これは、その実力を測る取り組みで、これによって甲組、乙組、丙組のグループ分けをする訳だ。
次に、東西の、実力の拮抗した者を組ませて、三番勝負。2勝した方が3千円、負けても2千円の賞金。
次に、丙組の力士で、一番強い力士を決める勝負。とにかく誰かが4連勝するまで、やる。もう、この辺で力士はヘトヘト。観客は盛り上がる盛り上がる。
我々は、この辺で、高知へと帰りました。
その後、乙組、甲組でも同じことが行われtたでしょう。その先、どのように進んだのかは知りません。親類縁者、地縁血縁の、地域のお祭りは、夜が更けるまで続いていくのでありました。
ここは今朝の野市、上岡八幡宮さん。
参道入り口の鳥居のところから撮影しました。参道の左手。鉄棒の手前に盛り上がった場所。土俵。
もう、使われんなって数十年は経過しちゅうでしょうか。それでも、ここが土俵であることは、わかります。
ここでも、かつて、昨夜上関で繰り広げられたような相撲があったでしょう。夏祭りのメインイベントであったかも知れない。廃れてしまった風景。
上関では、今も、先輩から後輩へ、親から子へ、子から孫へ、相撲の伝統が引き継がれている。なので、絶やされることなく、神事の段取りから作法、そしてまわしを締めて相撲をする、ということまで、伝えられていっております。大会役員も、審判員も、皆、かつての力士。
一度絶えてしまうと、伝統や作法、そして相撲を取る、ということまで、アッという間に忘れ去られてしまう。なんでもないことみたいに見えますが、実は、取り返しのつかないこと。
昨夜、JALの支店長さんや日銀の支店長さんもおっしゃってりましたが、こんな場所に外国人観光客を連れてきたら、狂喜乱舞しますね、間違いなく。
地元高知県人でも、こんなお祭りが残っていること、ほとんど知りません。
大切に大切に、後世へ伝えていって欲しいと切に願うところです。