ここにあった「高新ホール」〔8110〕2025/06/29

2025年6月29日(日)暑いねー
帯屋町の土曜夜市が始まったけど、梅雨明けしてから始まる土曜夜市って、あんまし記憶にございませんな。まあ、なかなかすごい人出で賑わっておりました。まだ僕が20歳代の頃、毎週土曜日に弊社のビン入り清涼飲料水を売りに行ってたこと、思い出します。当時はまだ、王冠のビン入りジュースとかを製造してまして、お祭りとかでは大人気だったのでした。
氷とお水を入れる大きな販売台を運び、ジュースを売り、撤収する。毎週毎週土曜日、1ヶ月間。これはなかなか大変やったけど、お陰で、帯屋町商店街の主要な皆さんとの知己を得て、大きな財産となったのでした。いや、懐かしい。
さて。電車通りを通ってて、ちょっと違和感を感じます。そう。高知新聞のビルが、ない。ここにあった高知新聞社のビルは、現在解体中。高知新聞本社は、昨年、電気ビル新館へ移転しました。
ここにあったビルは、僕にとってはとても思い出深いビル。上の階にホールがありました。近年はRKCホールとか言うてたけど、あのホールは僕にとっては「高新ホール」だ。
僕が子供の頃、高知にちゃんとしたホールはありませんでした。現在の丸の内緑地にあった中央公民館か、県庁前の農協会館の上。今考えると、音響もへったくれもない会場でした。そこに颯爽と登場したのが「高新ホール」だ。
高知新聞社HPで沿革を見ると、1974年(昭和49年)に、高知新聞放送会館全館が落成してます。ただ、高新ホールってその前からやってたような気がします。僕が小学生の頃、姉が出演してた吹奏楽部のコンサートに行った記憶があります。で、自分が中学生になってもコンサートは高新ホール。搬入搬出や、楽屋の風景、今もよく覚えてますねー。荷物運搬用のエレベーターで楽器運んだことも。
高知県民文化ホールができたのは中三のときで、その後は、コンサートもコンクールも、色んな演奏会とかライブとかの催しも、全部県民文化ホールでやるようになりました。
つまり。「高新ホール」が高知で唯一の音楽ホールであった時代って、とっても短かったんですな。登場したときは画期的で、県民の思いを受け止める文化施設やったけど、主役であった期間はほんの数年だったのか。なるほど。
その後も、いろんな機会で使うことがあった高新ホール、RKCホールも、今はもう、ない。当時の記憶を持つ方も少ないんでしょうね。AIに「高新ホール」のこと尋ねてみたら、「高新ホールは、高知市文化プラザかるぽーと内にある大ホールの愛称です。正式名称は『四国銀行ホール』で・・・」
うーん。嘘ばっかし。
AIにこういった間違った情報を言わせる「高新ホール」があったビルも今はなく、ここには、外資系の大きなホテルが建つと言われています。時は流れ、風景は変わる。