前浜の伊都多神社とハシカイおんちゃんらあ〔2472〕2010/01/21
2010年1月21日(木)曇り
今朝は、雨は降りやあしませんが、雨が降っちょります。と、この話題はまた改めてすることとして、今日もまたまた前浜の話題。
前浜と言えば、ここ伊都多(いつた)神社でしょう。旧道沿いに、広い社地をかかえて鎮座ましましちょります。こっから南へは、海に向こうて家の建っちょらん広いエリアが広がっちょります。前浜の皆さんに、古くから大切にされてきたことがわかりますな。
伊都多神社と言えば、去年7月6日にご紹介した南国市田村の伊都多神社があります。
こっからは空港の滑走路をはさんで反対側ですが、メッソ遠うございません。田村の伊都多神社が姉神で、ここの神様が妹神である、という話もあるそうですな。
この前浜の伊都多神社が有名ながは、天保の庄屋同盟のきっかけになったこと。天保庄屋同盟は、土佐、吾川、長岡の三郡の郷庄屋が結んだ秘密同盟で、将軍、大名、庄屋、みな同じ天皇の臣であるという当時としてはものすごい内容のもの。これが、幕末の尊皇攘夷思想、土佐勤王党へとつながっていきましたきに、幕末史のなかではかなり重要な同盟。庄屋さんから志士になった人物には、中岡慎太郎さんとか吉村寅太郎さんとかがおりますが、この庄屋同盟の考え方の流れを汲ものですな。
で、なんで伊都多神社が庄屋同盟のきっかけになったか。
元々、地方を治める役人であった庄屋さんには、農村の「郷庄屋」、漁村の「浦庄屋」、町の「町役」があって、席次もその順番に決められちょったそうです。それが、天保8年(1838年)の伊都多神社の祭礼の際、経済的にも政治的にも勢力を増しちょった「町役」が「郷庄屋」「浦庄屋」の上の席を取ろうとしてこぢゃんと揉めて、村方の庄屋が藩へ訴えました。それが、その後の庄屋同盟につながり、果ては土佐の維新へとつながったのであります。
最初のきっかけはナンチャアジャナイと言えばナンチャアジャナイ。が、その後世への影響はなかなかのもんなのでありました。
前浜をはじめ、浜の皆さんは、しょうハシカイですきね。