前浜のおらんく自慢〔2471〕2010/01/20
2010年1月20日(水)晴れ!
昨日の夜の汽車で高知へモンて来ちょります。こぢゃんと晴れちゅう割りには、メッソ寒うない朝になりました。
南国の本社から物部川沿いに南下すると久枝。そっから海沿いに西へ行くと前浜(まえのはま)。今は静かな海沿いの町ですけんど、その昔の平安時代、紀貫之さんが土佐から京へ帰る途中に寄港した大湊が、この前浜ぢゃあないろうかといわれちょります。
ここは前浜バス停のしゅっと北、後川沿い。ここに、紀貫之さんが寄港したことに因んだモニュメントが建てられちゅうがをご存じでしょうか。
その昔の海は、海沿いの集落からわまりこむように湾になっちょったと考えられます。その北側は、発掘調査によってラグーンになっちょったことがわかっちょります。で、天然の良港として大湊は栄え、湾とラグーンの周囲に都市が形成され、栄えちょった訳ですな。室町時代に下ると、そのラグーン北岸に細川氏の守護代屋敷がつくられ、前浜も単なる漁港ぢゃあ無うて交易の盛んな都市になっちょったことが想像できるのであります。う~ん、先進地帯。単なる、紀貫之が旅の途中で寄っただけの港ぢゃあないがです。
前浜で思い出すがは何というたち高知の濃いおんちゃんが使う次の慣用句。
メッタ メリヤス メリケン粉
済んだ 住吉 手結の浜
池イケ 十市 まえのはま
こぢゃんとメッタ時に使います。普通は一番上のがあだけですが、全部言うてしまうヒトもおります。