神雷部隊、高知海軍航空隊司令、岡村大佐〔8127〕2025/07/16

2025年7月16日(水)晴れ!
このところ降ったり晴れたりやけど、今朝は晴れ。良いお天気。クマゼミが喧しい朝になりました。
ここは高知大学農学部の南端。土佐あかうしが放牧されている柵の中。以前にもご紹介したことのある、高知海軍航空隊の地下指揮所があった場所。高知海軍航空隊の痕跡は、この地下指揮所入り口と、海洋コアの東にある地下通信壕くらい。あとは掩体と、トーチカでしょうか。
昨日、赤松貞明氏のこと、書きました。その記念館設立に奔走しておられる福井さんは、岡村基春氏の「秘蔵写真集」も自費出版しておられます。
僕もよく知らなかったのですが、岡村基春氏は、戦争末期に特攻兵器「桜花」の部隊「神雷部隊」の司令だった海軍軍人。最後は大佐。安芸市井ノ口の、岩崎弥太郎生家近くで生まれ、海軍兵学校を卒業しています。昨日の赤松氏と喧嘩して、赤松氏が海軍を辞める辞めないの騒動を起こした人物でもあります。
桜花。ロケットエンジンで、爆弾を搭載して体当たり特攻する兵器なので「人間爆弾」とも呼ばれた悲しい兵器。
その兵器による特攻を構想し、「神雷部隊」司令となったのが岡村氏。多くの若者が特攻で犠牲となり、構想していたほどの成果を挙げられなかったことから、岡村氏は、戦後は部下たちの慰霊につとめ、昭和23年、GHQの召喚を受けた際に鉄道自殺で自ら命を絶たれました。
終戦時の高知海軍航空隊司令は、加藤秀吉大佐。加藤大佐は、終戦時に自決。そこで、昭和20年9月30日に司令となったのが岡村基春大佐。11月30日までの2ヶ月間、高知海軍航空隊の後始末処理に従事したのが、安芸市出身の岡村大佐だったのでした。
そんな後始末の痕跡が、この地下指揮所跡。夏の日差しの中、クマゼミの喧騒の中、地下指揮所跡は夏草に埋もれていました。
福井さんは、色々と調べる中で、岡村基春氏が残した多くの写真を発見。ご遺族の了解を得て写真集を発刊されたのでした。活き活きと、海軍での姿が描かれている写真の数々。そろそろ、そんな歴史や人生があったことも、歴史の表に出てきてもいいんだと思います。
岡村大佐の兄、徳長氏も海軍軍人で、戦時中はバリバリの皇国史観の軍人だったそう。それが、終戦後は日本共産党に入党し、赤旗普及に熱心だったとのこと。
朝ドラ「あんぱん」では、逆転する正義が描かれているけど、それは、単純なものではなく、一人一人、それぞれの精神世界の中で非常に複雑な「逆転」があったのでしょう。色々と考えさせられます。