1月3日、土佐神社〔8298〕2026/01/03
2026年1月3日(土)晴れ
今日もよく晴れてます。が、山は雪。高知自動車道も大豊インターと川之江東ジャンクションの間が「いつものように」通行止め。弊社の関西行きトラックは、国道32号線を走るべく出発して行きました。
土佐神社は、僕が子供の頃から元旦早朝に初詣してきたお宮さん。土佐一宮。とさいちのみや。
今日は午前中、参拝してきました。もう新年3日目ですが、多くの善男善女が今年の平穏と幸せを祈りに訪れております。
土佐神社。僕らにとっては「土佐神社」が当たり前やけど、「土佐国風土記」では「土佐高賀茂大社」であり、「延喜式」では「都佐坐(とさにいます)神社」。御祭神も、神社のホームページを見ると「味鋤高彦根尊」と「一言主尊」とありますが、この二柱はどうやら同じ。「賀茂氏により大和葛城の里にて厚く仰ぎ祀られる神」であり「大和の賀茂氏またはその同族が土佐の国造に任ぜられたことなどにより、当地に祀られた」と書いてます。
実はこの辺の事情は少し複雑。
「日本書紀」「古事記」には、雄略天皇が大和葛城で天皇によく似た一言主神と問答する話が出てきます。で、「続日本紀」では、一言主神は高鴨神であり、雄略天皇と葛城山で猟を争そい、怒った雄略天皇によって土佐に流されたとなってます。この高鴨神は味鋤高彦根神であり、土佐国造の祖先としてここに祀られた、という話。
ここで読み取れるのは、土佐国造が賀茂氏かその同族であり、土佐では賀茂氏の勢力が強かったということ。中央政府とは微妙な緊張関係にあったのかも知れません。
そもそもこの場所にそんな重要なお宮さんが創られたのは、それ以前の太古の昔から、ここが神聖な場所であったからでしょう。ホームページには、かの礫石を磐座として祀った古代信仰があったのではないか、と書かれてます。
楼門脇にはそこにあった古墳の巨石があり、古墳時代から、大切な場所とされてきたことがわかる、そんな場所。長宗我部氏に大切にされ、山内家にも尊崇されてきた土佐一宮、土佐神社。土佐の国と人々を守ってきた土佐神社。
今年も良いとしてありますように。
