金子橋、新居浜の金子氏と元親さんとの関係〔988〕2005/12/29
2005年12月29日(木)晴れ!
今年も今日を入れてあと3日。いよいよ最終盤ですな。
今朝は、鏡川の北、金子橋のご紹介。升形の南、通町の東、鷹匠町の西、築屋敷の北側に、「金子橋」という町名があります。
藩政期、お城下の郭中と上町の通町の間にお堀が流れ、そのお堀に架けられちょったのが金子橋。現在もその地名は残るのでありますが、どれが「金子橋」なのかはっきりしません。こないだ、地元の方にお聞きした情報を総合しますと、どうやらこの写真のガードレールの部分が金子橋である模様。違うちょったらすびばせん。
このすぐ東に浄土宗の名刹「称名寺」さんがあり、ここから西へ行くと自由民権運動の闘士馬場辰猪さん、ロマン派文学者馬場孤蝶さん兄弟の生家跡があります。
この橋の名前の由来は、橋の袂に金子さんというヒトが住んでいらっしゃったから。金子さんは、土佐藩の馬廻役。この界隈は役人さんの住居が多かったがですね。で、この金子さん、どうやら愛媛は新居浜の金子氏の末裔。金子元宅さんは、戦国時代、新居浜を拠点に活躍した武将でありまして、長宗我部元親の四国平定の際に元親と同盟を結び、緊密に連携をとりながら四国平定を助けたそうです。
そして、豊臣秀吉の四国侵攻に立ち向かいますが戦死。元親はこれを讃えて遺児を土佐に迎えます。その後、金子家は県外に出ますが、2代藩主山内忠義さんの時代に土佐へ再びやって来まして、馬廻りの家格として、ここに居を構えたと思われます。