五台山、吸江庵、夢窓疎石、長宗我部氏〔987〕2005/12/28
2005年12月28日(水)晴れちょります!
今朝も快晴。心地の良い朝です。
ここはいつもの鏡川、潮江橋北詰の東側から撮影した五台山方面の日の出直前の景色でございます。大きな鉄塔が2本立つ山が五台山。その手前のアーチの橋が鏡川大橋、一番手前が雑喉場橋です。川では、鴨が朝食を摂るに忙しそう。何を食べゆうがでしょうかね。
五台山の麓には、何度かご紹介した「吸江(ぎゅうこう)禅寺」というお寺があります。パゴダの塔の下あたりですね。その昔、夢窓疎石さんが「吸江庵(ぎゅうこうあん)」として開いたのをその始めとします。
夢窓疎石さんは、室町初期、足利尊氏さんにこぢゃんと尊敬された禅僧。その門下に、土佐出身の絶海中津さんや義堂周信さんがおりまして、五山文学の双璧として活躍、全国に名を轟かせますが、彼らも、この吸江庵には深く深く関わっちゅうそうです。
あまり知られちゃあしませんが、四国の覇者長宗我部元親さんのご先祖も、ここ吸江庵に深く関わっちゅうがです。
長宗我部氏の先祖は、平安時代末期から鎌倉初期の頃、土佐へやってきた「秦氏」であるとされちょります。そして、南北朝争乱の頃、足利尊氏の命を受けて土佐にやって来た細川氏と一緒に戦いました。で、細川氏との結びつきを強め、土佐の守護となった細川氏から、ここ吸江庵の寺奉行に任ぜられたのであります。この奉行を勤めつつ、長宗我部氏は岡豊を本拠に勢力を拡大、戦国の世へと突入していったのでありました。