高知市の夜景、筆山、織田信安さん〔967〕2005/12/08
2005年12月8日(木)晴れ!
今朝もそこそこ冷やかったですね。走りはじめは手足がシビコオリます。しばらくずると、体も温まってきて汗が出始め、冷やさが気にならんなります。
今朝は、思い切り筆山を駆け上がってきました。攻め上る、といった感じで、体に負荷をかけつつ駆け上ります。汗が一気に噴き出してこぢゃんと心地エイがです。上りきった所にある駐車場から、まだ真っ暗い高知市内の美しい光景を撮影してみました。午前5:50くらいの高知市。右下に天神大橋の灯りが見えよりますね。
筆山には、土佐藩主山内家の代々の墓所をはじめとして、有名な人たちの墓所がたくさんございます。野中兼山さんや、その娘の野中エンさん、幕末に活躍した吉田東洋さん、日商岩井の前身鈴木商店を築き上げた大番頭金子直吉さんなど。有名どころがずらり、ですね。その中で、本日ご紹介するのは「織田信安(おだのぶやす)」さん。筆山の通常の登り口から登り始めてすぐ左手の、真如寺住職墓地にお眠りになっていらっしゃるこの人物、戦国武将織田信長の従兄弟。織田家のなかでは、信長の家よりもずっと格の高かった家系で、父敏信さんの跡を継いで尾張岩倉城主となります。その時の家臣に山内一豊さんの父盛豊さんが居りまして、黒田城主でございました。しかし破竹の勢いの信長に攻められて盛豊さんは討ち死に、子供だった一豊さんは、父の主君の織田信安さんを頼って行きます。が、信安さんは、信長を恐れる自分の息子に追放されてしまいました。
そこから一豊さんや信安さんは、それぞれ流浪の生活を送り始めます。
あとはご存じの通り出世街道を走り抜けた一豊さん、遠州掛川のお殿様になりました。それを頼って旧主織田信安さんがやって来ます。
関ヶ原の後、土佐一国の大名になった一豊さんを追って、信安さんも土佐へ。厚遇されて、平穏な内に土佐で没しました。
ここに、自然石を墓石にした信安さんのお墓がありますが、全然知られちょりませんし、墓標もないので誰のお墓かも判らない状況。尾張岩倉には、立派なのがあるそうですが、ここが当初建立された本物なので、もうちっくと何とかしたいもんですね。