中村城址、幸徳秋水さんの記念碑〔896〕2005/09/28

2005年9月28日(水)晴れたり曇ったり
今朝も四万十市。
今日はいつもと趣向を変えて、中村城址の山界隈をたつくりまわって来ました。中村の市街地の西、四万十川の畔の山のてっぺんが中村城址。
地元では「為松公園」と呼ばれて親しまれちょうがです。一条氏がやって来るまでは、この山に為松氏という国人領主がここにお城を築いて城主となっちょりjましたが、一条氏がやって来てからはその家臣となったがです。この「為松城」など、4つか5つのお城がこの山にありまして、「中村城」とは、その連なった城の総称。
この山の麓には、幸徳秋水さんの墓所があります。萬朝報や平民新聞などで民権に関する論陣を張り、我が国社会主義運動黎明期の巨人であります。その思想や運動は、後世に大きな影響を与えましたが、1911年、いわゆる大逆事件で、理論的に影響多大ということで刑死したのであります。
中村城址のある山の上には、秋水さんが、死刑宣告された明治44年1月18日に、看守の菅野さんという人物の依頼で書き与えた絶筆が刻まれた大きな岩があります。
區々成敗且休論 千古唯応意気存
如是而生如是死 罪人又覚布衣尊
死刑宣告之日 偶成 秋水
こまごまとした失敗成功について、今、あげつらうのはやめよう。
人生への意気を捨てぬことこそ、古今を通じて大切なのだ。
このように私は生きて来て、このように死んで行くが、
罪人となって、あらためて無官の平民の尊さを覚ることができた。