四万十市、一条神社、応仁の乱〔895〕2005/09/27
005年9月27日(火)四万十市はちっと曇っちょう
今日は四万十市。朝、高知を出て一気に西の端の大月町まで行き、四万十市中心部まで引き返して来て、今、ホテルの窓から市街地方面を眺めよります。
大月町は、高知市から車で3時間かかる、海沿いの美しい小さな町。ここには、ひまわり乳業の大切な大切な酪農さんが8軒いらっしゃいます。山地酪農方式という自然循環型酪農方式で、元気な牛から健康な乳が搾られようがです。
高知市から高速に乗って北に3時間走ると、日本海まで行き抜けてしまいます。大月町は、高知市から言えば日本海より遠いところ。
で、ここは四万十市。こないだまで中村市やった所です。写真に写っちゅう辺りが繁華街。右下にアーケードの屋根が見えよりますが、ここが天神橋商店街。その向こうの方に見える大きな建物が四国電力さんの建物で、ひまわり乳業中村工場は、その北側にあります。ここからはちくと見えません。
左隅のこんもりした森は、一条神社の森。何度もこのにっこりでご紹介しましたが、ここ中村は、応仁の乱を逃れてやって来た一条氏が戦国末期まで雅な支配をした地域。前関白一条教房さんが、こんなところまでやって来た理由。それは、応仁の乱で、日本が東西に分かれて争い、瀬戸内海が封鎖されたりして京の人たちが自由に明の国と貿易ができなくなった為、俄然太平洋ルートの貿易航路が重要視されだしたから、という説があります。
この四万十川河口界隈は、もともと九条家(一条家の元)の荘園があったみたいですが、こんなところに拠点を設けるのは、やっぱし貿易に利するため以外には考えられんですな。陸路の不便さを体で実感してみたらわかります。これホント。