武市瑞山、碑の場所が変わった理由〔8119〕2025/07/08

2025年7月8日(火)晴れ!
連日の猛暑。炎暑。乳牛もかなりコトうてきました。今朝みたいに、最低気温が25℃を下回らんみたいなのが、乳牛にはキツいようです。なんとか頑張ってこの夏を乗り切って欲しい。
さて。ここは、大橋通りの一つ西の通り。右手に四国銀行帯屋町支店。突き当たりに見えるのは電車通りのラヴィータさん。
一昨日、梅津和時×矢野絢子のセッションライブがあったのは、この通り沿いにある喫茶店「スプーン」さん。矢野絢子さんが、Facebookにそのライブのこと書かれてました。楽しかったねー。
「スプーン」も、その隣の「メフィストフェレス」も、結構古くからあります。もちろん四国銀行帯屋町支店も、昔から。「スプーン」の向こうの駐車場の向こうの「東崎理容店」も昔からあって、僕は幼少期から散髪は「東崎」で、もう60年も通っているのでした。今、僕の少なくなった髪を切ってくれているのは3代目さん。その前の「吾平」も、古いね、結構。
しかし、そうやって残っているお店は少なくて、随分と風景も変わりました。昔、左手の角には古本屋さんがあって、父にしょっちゅう連れてきてもらいました。現在の毎日屋さんは高知スーパーで、この通り沿いからも入店できました。大橋通りとの角には石元の米屋。隣が松岡蒲鉾の南店、その隣が母の実家の酒屋。
そんな訳で、南与力町から追手前小学校に通っていた僕は、大橋通りのおじいちゃんちで、年の近い従兄弟としょっちゅう遊んでいる少年でした。
「東崎理容店」の手前、現在駐車場になっている場所にあったのは、今は永国寺町に移転した「青果の堀田」。店舗の上は立体迷路みたいになった大きな自宅で、現社長のマー坊が同級生だったので、しょっちゅう遊びに行ったことでした。
写真右下に見える碑には「武市瑞山先生殉節之地」と刻まれています。昭和28年、高知市教育委員会と帯屋町公設市場組合によって建てられた碑。この地で武市先生は切腹させられた訳やけど、戦前は、そのことを伝える碑は大橋通りに面して立っていた、と、天狗堂の故芝藤大先輩が教えてくれました。
そうか。そういうことか。なんか、わかった気がする。
母の実家の酒屋とかがあるところは、東西に伸びる木造二階建ての長屋みたいになってました。1階が店舗、2階が住居。全家、同じ作り。そしてそこは「公設」と呼ばれてました。
大橋通りに公設市場が設けられたのは大正7年。しかし、戦争で全部焼けてしまいました。そして戦後、公設市場を再建していく中で、武市先生の碑も再建しよう、ということになるも、場所は、公設市場前はちと具合が悪いので、銀行の前に移ってもらった、みたいな経緯があったのかどうなのか知らんけど、碑を建てた主体に「帯屋町公設市場組合」が入っている、ということはそういうことだった。のかも、知れません。