新幹線に食堂車があった頃〔8364〕2026/03/10
2026年3月10日(火)晴れ
あの大震災から明日で15年。もう15年か。15年経つのに、原発のこともあったり過疎化が進んだりで復興への道は遠い気がします。あの日の朝は、そんな大災害が発生するとも知らずに、田んぼに水を張るのどかな光景を紹介してます。前日の3月10日は大阪の朝。なんでもない日が、突然変わる。そんな15年前でした。
さて。3月10日といえば、1975年3月10日、山陽新幹線の岡山駅と博多駅の間が開業しました。あの「ひかりは西へ」というキャチフレーズは、1972年、新大阪から岡山まで延伸した際のものやったけど、博多延伸の際にも使われたのでした。
そう。大阪万博の頃はまだ東海道新幹線だけしかなくて、大阪へは、宇野で連絡船から急行鷲羽に乗り換えて大阪へ行ったことでした。その後、東北や上越や北陸や九州や北海道などに新幹線ができていき、四国以外では当たり前になった交通インフラですが、26年前の今日3月10日、悲しい出来事もありました。
東海道山陽新幹線から食堂車が消えた日。それが、2000年3月10日なのであります。
この中央の写真は、2000年3月に東海道新幹線で撮影されたもの。食堂車がなくなる、ということで、多くのお客さんで賑わってます。そう。食堂車って、限られたスペースなので結構狭かった。でも、あの揺れの中、窓の景色が変わっていく中で食べる洋食はまた格別でした。
以前にも書いたように、現在は、各所で運行される企画列車ではない、いつでも飛び込みで利用できる通常の食堂車は、ほとんど存在しません。寂しいねー。
2000年3月の食堂車のメニューがありました。なかなか多彩なラインナップ。僕はいつもビーフカレーとビールで、ソーセージの盛り合わせも頼んだりしてました。そして懐かしいのがこの車内アナウンス。当時の新幹線は「旅」気分だったのだ。8号車には食堂車、車内販売では各地のお土産物、ビールに水割りときたもんだ。まさに、「旅」。
現在の新幹線はどうなってるのか。普通車・自由席での車内販売は終了してしまいました。「のぞみ」では7号車がビジネスパーソン向け「S Work車両」。パソコン仕事がやりやすい仕様で、中でも「S-WorkPシート」にはパーテーションがあって仕事に集中できる、という仕組み。ああ。新幹線でも仕事しなくっちゃ。
もちろん僕も、新幹線や南風で仕事することはあるけど、可能であればビール飲んでゆっくりしたい。それが僕にとっての鉄道だから。
幾度でも書きます。将来リニア中央新幹線が開業した暁には、東海道新幹線に食堂車を復活させよう。「ビジネス」の為の「移動」ではない。「移動」は「旅」である、という基本に立ち帰りたい。AIの進化は、ヒトに、そんな余裕を取り戻させる進化であって欲しいと願う、3月10日の朝。
そんな訳で、ついうっかり、AIに「新幹線に食堂車があった頃」という楽曲を作らせてしまったのでした。
