御在所山とアンパンマン〔8047〕2025/04/27

2025年4月27日(日)晴れ
物部川。いま、流域で絶賛「ものべすと」開催中の、物部川。物部川右岸、蔵福寺島の土手から撮影した、夜明け前の風景。向こうに見える乳房の形をした山が、以前にも幾度か書いたことのある「御在所山」。ございしょやま。平家の落人伝説に彩られた聖山、御在所山。
その山の名前が由来となり、その南麓の物部川沿いの村は「在所村」となりました。明治22年のこと。昭和36年、隣の大宮町と合併して香北町となるまで、あの南麓は在所村。
やなせたかしさんの自伝「アンパンマンの遺書」は、「高知県香美郡香北町在所村で、ぼくは生まれた」という文章で始まります。これは正確ではありません。やなせ先生が生まれたのは大正8年で、まだ「香北町」という町はなかったから。そんな細かいことはどうでも良くて、やなせ先生が、この村に深い愛着を持っていたことは、「アンパンマンの遺書」を読めばわかります。やなせ先生も「なだらかな若い女性の乳房のかたちをしている」と表現する、香北を象徴する山。香長平野からも、よく見えます。
山頂には、安徳天皇と平教盛が合祀されている、と言います。教盛は、清盛の弟。壇ノ浦で、安徳天皇が入水したのを見届けてから、碇を身体に縛りつけて入水した、とされる平教盛は、実は、安徳天皇を奉じて脱出し、ここへやってきた。という伝説。
やなせ先生は「ぼくの先祖はどうも平家の落人らしい」と書いてます。「柳瀬家およびぼくの親族は、このへんの深い山峡に散在している。こんなところにという秘境にも小さな部落がある。恐らく平家の落人の中でも、一番恐怖心の強い平和愛好の一群でなかったかと思う。」と書く。そして「その血はぼくに流れている。詩歌管弦を愛する文弱の気風はぼくの血の中にある。」と、堂々と続ける。これこそ、やなせたかしであり、アンパンマンだ。
御在所山の近くに「日ノ御子」という場所があり、その地名は、安徳天皇に生まれた皇子に由来する話を書き、「この地は太陽の故郷である」と書くやなせ先生。なので、香北町の体育館に描いた壁画の題名は「太陽の故郷」。入り口には「手のひらを太陽に」の詩碑があり、「アンパンマンの顔は太陽に似ている」とつづける。
あの御在所山、そしてその南麓が、アンパンマンや「手のひらを太陽に」のルーツのひとつである。のかも知れません。やなせ先生の愛した御在所山と物部川。美しいねー。