大川筋は、郭中扱い〔8026〕2025/04/06

2025年4月6日(日)晴れ!
晴れわたった日曜日。晴れて良かったねー。今日の最高気温は20℃を超える予報で、絶好のお花見日和。あたかも高知は桜満開。あちこち、賑わうんでしょうね。善き哉善き哉。
昨夜、お街の駐車場に車を停めて帰ったので、今朝、自転車で車を取りに行きました。写真は、江ノ口川。中の端の上から東方向を撮影しました。
川の南が廿代町で、北側が大川筋。そう。大川筋。かつて、この川は「大川」と呼ばれ、鏡川よりも広い河川だったと言います。
山内一豊が城下町を建設した際、この川を北の外堀としたのでした。幾度か書いてきたように、江ノ口川と鏡川、大丸界隈と升形に挟まれたエリアが郭中、かちゅうと呼ばれた上級武士の住む場所。
ただ、この左側。つまり北側。つまり大川筋は、大川の北であるにも関わらず、郭中の一部と見做されておりました。今も大きな武家屋敷が残っているのは郭中だったから、でしょうかね。
確かに、藩政期の、上士の家には氏名が描き込まれている城下絵図を見てみると、大川の北側にも氏名が描き込まれた上士の屋敷が立ち並んでいること、わかります。そう。なので、「郭中は江ノ口川と鏡川に挟まれたエリアで・・・」というのは正確ではなかったのでした。
「中ノ橋」というくらいなので、「上ノ橋」「下ノ橋」があるのか。現在も、県立大学と丸の内高校の間の道を北上すると「上ノ橋」が架かってます。が、「下ノ橋」は見当たらない。実は、天明頃の藩政期の絵図を見ても、、「中ノ橋」の川下にある橋は「廿代橋」。その下流に「山田橋」。「下ノ橋」は見当たらないけど、「関」があります。堰でしょう。その堰から分かれた水路が、南の、土橋が架かる堀につながっていたようです。
この写真の目の前に、堰がありました。今ではちょっと、想像できんけど。
それにしても、なかなか美しい川の風景。しかしここは、僕が子供の頃は、とてつもなく汚れた川でした。メタンガスがポコッポコッと泡になって浮かび上がって来た、真っ黒い川、匂いもすごかった。西日本一汚い川と言われた江ノ口川。今ではちょっと、想像できませんが。
生コン事件などを経て、今は、江ノ口川の川面を、鴨がスイスイ。昔は考えられなかった、美しい風景。