中秦泉寺交差点の狭いカーブ〔7995〕2025/03/06

2025年3月6日(木)晴れ
道路が拡張したり新しい道路ができたりすると、かつて、そこがどんな風景だったのかわからなくなったりすること、あります。しかしそこには、かつての風景の痕跡が残されていたりすることも、ありますね。
例えばこの航空写真は、現在の県道16号線。中秦泉寺から正蓮寺の山の方へと上がっていく道路。この十字の場所とかは、かつて、道がもっと狭くてクネクネしていた時代の痕跡。
道路の脇が広くなったりしている場合、そこが、かつての道路のルートだったということは、よくあります。1960年代の航空写真で同じ場所を見ると、こう。クネクネが真っ直ぐになり、かつてのクネクネが広い路側帯みないになって痕跡として、残る。
ここも、そのひとつ。朝4時半の中秦泉寺の交差点。僕は、中学2年生から高校卒業まで、秦泉寺に住んでました。学校へは基本、自転車で通学。雨の日も合羽着て、自転車通学。
しかし、なんらかの理由で、たまにバスに乗って通うこともありました。東久万線か宇津野線の土電のバスで、秦泉寺局前というバス停を利用して。
その頃の中秦泉寺交差点は、かなり狭かった。東久万や宇津野へ向かう大型バスは、この交差点から狭い道を入り、農協の建物の横の狭い所をカーブしながら西へ向かってました。昔の路線バスの運転手さんは、なかなか大変。現在の航空写真がこれで、1970年代のが、これ。この十字のところが、農協前の狭いカーブ。
その狭いカーブの痕跡が、今朝の写真という訳だ。向こうが東。イオン方面。現在の交差点西側の道路の北にある、かつて中秦泉寺交差点カーブが、この植え込みと白い建物の間の道。当時の狭さを実感できると思います。
かつてこんなにクネクネだった県道16号線は、今はかなり広くて走りやすい道になり、今もまた直線化工事がここで行われています。現在の道は、また、痕跡となって残るんだろうか。
最近考えることがあります。これから急激に進む人口減少高齢化。都市計画も街の姿も、そういった社会に見合うものになって行かざるを、得ない。これからの日本のインフラ整備は、そういう社会に対応、適応したものでなくてはならんのだと思う。それは、たぶん、道路をまっすぐにしたりすることよりも、自動運転や無人輸送機関やITを駆使したバリアフリー技術とかではないか。
100年後は、どんな風景になっているんだろう。