「記念櫻」碑〔7962〕2025/02/01
2025年2月1日(土)薄曇り
2月かー。はや2月。春も近いね、寒いけど。
ここは大杉駅前。JR土讃線、大杉駅の前で、国道へと渡る橋の袂。ここに、砂岩の自然石でできた小さな碑がたってます。とても控えめにたっているので、気付かない人も多いと思う、碑。
正面には「開通記念櫻」と刻まれています。建立者は大杉村長。右側には昭和七年十二月二十日という日付。そう。土讃線が全通したのは昭和10年やけど、大杉駅は昭和7年に開業してます。昭和5年に角茂谷駅までができてたのが、大杉駅まで延伸。昭和9年に豊永駅まで延び、そして昭和10年、豊永駅と三縄駅の間がつながって全通。高知の人々が汽車に乗って瀬戸内方面へと行けるようになりました。
途中の、角茂谷とか大杉とか豊永の人々にとっては、高知駅方面とつながったのが嬉しかったでしょうねー。徒歩で、いつくもの山を越えて行くしかなかった高知が、あっという間に行けるようになった訳で。
戦後になるけど、昭和25年の時刻表見ると、大杉高知間は、各駅停車でも1時間16分くらい、準急だと1時間なので、それこそ夢の超特急だったことでしょう。
村長さんが、嬉しくて嬉しくて記念櫻を植えたのも宜なるかな。また、この碑、丸い自然石に、文字は手彫り。しかも、手作り感満載だ。この手作り感が、却って、地元の喜びを伝えてくれる気がします。
さて、その記念櫻。もしソメイヨシノだったとすると、その寿命は60年~80年。なので、今はもう、ありません。かつては大きな樹勢でピンク色の花を満開にしていたでしょうか。この、橋の袂の大きな桜を覚えている方もいるかもしれません。僕は覚えてないけど。
で、今、この「記念櫻」碑の横には桜の若木。GoogleMapのストリートビューで見てみると、2021年3月がこれで、2014年1月が、これ。この苗木の状況を見ると、10年ちょっと前に植えられた2代目記念櫻なのでしょうか。
地元の、大きな大きな喜びだった鉄道開通。山の生活は一変したことでしょう。今は、道路が充実し、鉄道利用のお客さんも沿線人口も随分と減ってしまいました。
昭和25年当時、大杉駅から高知駅へ向かう各駅停車は1日7本で、準急が2本。
現在、高知駅へ向かう各駅停車は3本で土佐山田行きが2本。特急が10本。本数は、そんなに変わらない。しかし、当時の各駅停車は客車が何両も連結されたもの。僕が子供の頃の各駅停車でも、ホームからはみ出るくらい何両も連結してました。今の特急に、大杉駅から乗る人は、まばら。
戦後80年。ヒトやモノの移動は飛躍的に活発になったけど、山間の駅前の風景は、寂しくなりました。そんな大杉駅の遷り変わりを、93年見つめて来た、開通「記念櫻」碑。