「何不」土器片〔7954〕2025/01/24

2025年1月24日(金)晴れ!
週間予報見ても、朝が氷点下になる日はなさそう。1月の気温って、こんな感じではなかったよね。某大統領が何を言おうが、温暖化はかなり、やばい。
さて、昨日の高知新聞。一面トップのニュースが、なんと考古学の記事でした。「県内古代土器片 漢字2字か」という見出しが新聞の一面トップに踊ってました。すごいねー。
今までこのにっこりひまわりでも、幾度か触れてきたことのある「若宮ノ東遺跡」が、またまたやってくれました。以前、評衙があったのではないかとされる発掘成果などが紹介されて、現地説明会にも行った、若宮ノ東遺跡。
それは、7世紀後半の話で、長岡郡(評)の役所が、そこにあったのは、どうやら確定的である、みたいなことも書きました。昨年8月の現地説明会でも、その評衙の姿がかなり明らかになってきた、みたいな説明だったと記憶します。
今回の成果は、その時代からなんと5世紀も遡る、2世紀後半から3世紀中頃の話だ。
あのね。魏志倭人伝等による、卑弥呼が生きた時代が、まさしく2世紀後半から3世紀中頃。2018年度の発掘調査で、その時代の竪穴式住居跡から出土した土器片。それを2019年度に洗浄したところ、文字のようなものが発見されたんだそう。コトは重大だ。
そこで高知県埋蔵文化財センターは、慎重を期して、国立歴史民俗博物館の平川南元館長という専門家に、鑑定を依頼していたんだそう。2018年というとこの時だから、7年前。慎重やねー。
そして、鑑定の結果、土器の2文字が漢字である可能性が高い、ということが今回発表されたのでした。この遺跡からは他にも4片の土器片から文字のようなものが出土してるけど、現段階では文字であるとは言い切れない、とのこと。裏を返せば、今回の2文字は「文字である」と言い切ることができる可能性が高い、ということなのか?
RKC高知放送のニュースにもなってました。色々と僕がお世話になっておる吉成課長さん、登場。
もちろん、邪馬台国論争もあるように、この時代の遺跡遺物解釈には諸々の解釈や議論があって、これで断定してしまうことができないことは、わかってます。
それでも、その文字が「何」「不」であり、その後にも文字が続く「文章」であったとすれば、日本で最古級の「文字列」である、ということになる訳で、ひょっとしたらすごい発見、なのかも知れません。
この発掘現場は、多くの弥生後期の遺跡、竪穴式住居も見つかっている場所。更新世段丘の先っぽ。そして、同じ頃、国分寺から比江にかけても、弥生遺跡が増加してます。つまり、弥生末期から古墳時代にかけて、人々が集住したと思われる場所が、二つ。7世紀後半、その二つの重要地点は国衙、評衙となり、始まったばかりの律令制度に基づいてその二つの町を直線でつなぐ官道が敷設された。その官道の方向を基本にして、律令制度を支える条里制が敷かれ、現在の香長平野を彩る香長条里ができあがっていった、という妄想。香長条里が真北から10度ちょっとだけ東に振れている理由は、若宮ノ東と国府をつなぐ道の角度に沿ったから、という妄想。
妄想はさておき、若宮ノ東遺跡出土の土器片。卑弥呼の時代の文字列とすれば、まさに、国宝。今までの歴史を覆すような漢字の列が、なぜ、土佐に。解明するのは難しいだろうけど、楽しいねー。
今朝の新聞によりますれば、2月7日から2月28日まで、埋文で展示してくれるそう。見に行かなくっちゃ。