排水対策もあるけど〔7921〕2024/12/22
2024年12月22日(日)晴れ!
先日、NHK「絶対に行きたくなる!ニッポン不滅の名城」で、高知城の後編を放送してましたね。ご覧になった方も多かったんではないでしょうか。夜8時からのNHKですきんね。
で、高知城の石垣のことを、敬愛する城郭専門家、松田先生が解説しておられました。なぜ、山内一豊は、石垣を積む技術があるのに、自然石で野面に積んでいったのか、という理由の解説。
高知城は大変降水量の多い高知にあり、排水対策が必須であった。そこで、排水のことも考慮し、野面で自然石を積むことにした、という話でした。そう。高知城には、石樋など、たくさんの排水に関する工夫が施されてて、その中の一つの工夫、という側面もあると思います。
ただ、テレビなのであまり色んな解説ができないのと、視聴者が興味を抱くストーリーを強調する必要もあって、「排水」という部分だけにスポットを当てたんだと思われるのでした。ブラタモリ高知編の案内をした僕なので、その辺の事情はわかります、はい。
しかし、現実の理由としては、大高坂山や周辺の山にはチャートがゴロゴロしていた、というのも大きかったと思われるんですね。幾度か書いてきたように、お城の石垣って、界隈で産出する石材に規定されます。瀬戸内では花崗岩、徳島では緑色片岩、江戸では凝灰岩、といった感じ。で、石材にはそれぞれ特徴があり、その特徴によって積み方も変わってきます。ただ、近所に一番多いのがチャートだったから、という理由だと番組的に盛り上がらんしねー。
仏像構造線の北側、秩父累帯南帯にある高知城下周辺。一番ポピュラーな岩石はチャートで、次に石灰岩なのでした。あとは蛇紋岩とか。
チャートは、硬い。とても硬くて、火打石に使われたるする訳やけど、硬いだけあって加工がなかなか難しい石。高知城築城当時、この大量のチャートを加工して打ち込みはぎとかにするのは、技術的にも時間的にも不可能だったでしょう。
そしてチャートの硬さは、野面で鬼積みにすることで、ものすごい強度を発揮することになるのでした。頑丈さでは、隙間のある野面積みの方が強いし。
そんなこんなで、高知城の石垣はチャートの野面積みになりました。山内氏築城以前の、長宗我部元親築城の際にも、チャートの野面積みで石垣が組まれています。
もちろん排水にも適している、ということもあって、高知城の石垣には、チャートの野面積み以外の選択肢はなかったんだと僕は思っています。もちろん個人の感想です、はい。写真は今朝の高知城。真ん中に、排水の石樋が写っているの、見えますでしょうか。このお城、いたるところ、排水の工夫が施されているお城であるのは間違いありません。戦国末期、石積みや築城の技術が劇的に進歩したことがよくわかる名城、高知城。
長宗我部元親によって築かれた浦戸城の石垣は、四万十帯の砂岩。そして、秀吉好みの積み方をした時代もあった、という話は、こないだ書きました。それこそ松田先生のご指摘で。
石積みは奥が深い深い。高知城の石垣の美しさを全国に紹介してくれて、嬉しゅうございました。