鶴子物語〔7904〕2024/12/05
2024年12月5日(木)晴れ!
ここへ来るのって、何年振りでしょう。初めて来たのは、間違いなく20年以上は、前。ひょっとすると30年くらい前かも知れません。エフエム高知さん。
調べてみると開局して32年なので、30年振りってことは、ないか。でも、恐らく25年以上は経ってます。そして前回来たのは、恐らくは「吉田類の類語録」という番組に出させて頂いたとき。何年前でしょうかねー。
今回は、「プライムトーク」という番組の収録。番組の企画では、なんでも、「高知の未来をつくるキーパーソンをゲストに迎えて、仕事のことやプライベートのことなど、いろいろな話を伺う」番組なんだそう。いや、僕には、高知の未来は荷が重いぞ。重いです。
そんな訳で、話してきました。番組は、12月13日(金)11:30~と、翌週12月20日(金)11:30~の2回に分けて放送。会社のこと、商品のこと、そして諸々の趣味や活動のことなどなど。こんなんで番組になるんですかね。いや、申し訳ないです。1回目が13日の金曜日ってのが、なにかを暗示する。
上に、初めてここへ来たときのこと、書きました。何の番組に出たのかはまったく覚えてません。ただ、その時お相手させて頂いたFM高知の曲アナさんは、はっきり覚えてます。なんでかと言うと、その後、その女性は弊社担当の営業となり、そして幾度か書いてきた「高知のぬかるみ探検隊」の特攻隊長になったから。通称「鶴子さん」。もちろん本名は、違います。由美子さんです。
今日は、なんで「鶴子」になったのかをお話しましょう。
題して「彼女はこうして鶴子になった」
「高知のぬかるみ探検隊」結成とその活動については、このにっこりでも幾度かご紹介してきたので、そちらをお読みください。高知の、どう見てもやばそうなディープなお店を探検しよう、と結成されたもので、不詳私が隊長をつとめてました。その記念すべき第一回探検が、今はもう無い、南はりまや町の「亀寿」というお店。トラ箱行きのパトカーがしょっちゅう来ることで有名だったそのお店へ行ったメンバーは、僕と、FM高知のNくん、Mさん、そして高知広告センターのNくん。
まず。
18:30頃だったでしょうか。店の前で待ち合わせしていると、店内から泥酔したおんちゃんが引き摺り出され、無理やりタクシーに詰め込まれる場面に遭遇。期待が高まるね。
その後、入店しようとしたら、扉に鍵がかかってて開かない。カウンターに座ってたお客さんが開けてくれ、入店。「鍵は閉めちょいてよ」と言われ、言われた通りにする。最初からなかなかハードだ。おばあちゃんが一人で切り盛りする店内はカウンターだけ。2名ほどの先客。
うち一人は、時折奇声を発するおにいちゃん。まあ、期待通りのあんなことやこんなことがあり、楽しんでいた、そんな時。
僕らの背後の棚みたいなところにあった毛布が突然起き上がる。人が寝ていたのである。まったく気付かなかった、寝ている人。起き上がってきて第一声が「おおのうるさい」でした。
別の客が「気にしな気にしな、このおやじは朝の9時からここで呑みゆうき」とアドバイス。ちなみにそれは夜の7時半頃のことね。
起きてきたおやじが、僕らのことを一瞥、FM高知のMさんを見て、こう言いました。
「おう。この店にこんな若い娘さんが来たがは3年振りぢゃ。こりゃ、掃き溜めに鶴ぢゃねえ。これからおまんのことを”鶴子”と呼ぶぞ。」
「鶴子」が生まれた瞬間でした。
爾来、僕らもMさんのことを「鶴子さん」と呼ぶようになってしまったのです。それからしばらく活動した「高知のぬかるみ探検隊」では、その度胸と行動力から特攻隊長となった「鶴子さん」。その誕生は、こんな感じでした。ああ、懐かしい。