北岸山端遺跡〔7885〕2024/11/16
2024年11月16日(土)曇り
高知で、考古学系の記事が新聞の1面を飾ることって少ないのですが、昨日の高知新聞1面には「縄文早期 謎の帯状石群」という刺激的な見出しとともに、香南市野市町西佐古の「北岸山端(きたきしやまばた)遺跡」で発掘された遺跡の記事が踊っておりました。面白いねー。
幾度か書いてきたように、高知って、旧石器時代から縄文時代にかけての遺跡は比較的少ない。西南部の宿毛とか土佐清水では縄文後期の遺跡も多いけど、1万年前とかの縄文早期になると、四国山中の岩陰遺跡がぽつんぽつん。
一番有名なのは、このにっこりで幾度も書いてきた。佐川の「不動ヶ岩屋遺跡」でしょうか。石灰岩の洞窟で人々が暮らした遺跡で、検出された石器はほぼほぼチャートで、ごく一部に香川のサヌカイト、姫島産の黒曜石。香美市繁藤の飼古屋岩陰遺跡は、吉野川水系穴内川近くの洞窟遺跡。チャートの巨岩の岩陰に人々が暮らした遺跡で、こちらは不思議なことに、香川のサヌカイトが非常に多く出土してます。縄文早期でも、瀬戸内海方面との文物の行き来は盛んであったことがわかる、遺跡。物部川流域では、美良布の刈谷我野遺跡が縄文早期。ただし遺構は見つかってなくて遺物が出土した遺跡。今回、香南市としては初めての縄文早期の遺跡発見で、刈谷我野遺跡と同時期の土器片などが見つかってます。
縄文早期の四国の遺跡って洞窟、岩陰の遺跡が多い訳やけど、今回のは物部川扇状地の扇の要に近い平野、河岸段丘上の遺跡。場所は、ここ。目を惹くのが、この列石。縦7m、幅2.5mの大きな帯状石群。今日、現地説明会があったので、行ってきました。そりゃあ、行かなくちゃね。
大河、平野、山に囲まれており、狩猟、採集、漁撈で暮らすのに恵まれてたと想像される土地的条件みたいですねー。段丘上で、洪水にも強い。
確認したかったのは、帯状列石の石。昨日の高知新聞には、「多数の堆積岩の中に砂岩が2個だけ混じっており」なんぞと書かれておったのです。砂岩は堆積岩だから、この文章は意味をなさない。で、行って見てみたら、なんのことはない、チャートでした。チャートの岩塊の中に、砂岩が2個だけ混じってました。高知新聞、がんばれ。
チャートは、この秩父帯では非常にポピュラーな石で、それこそ山にゴロゴロしてます。で、物部川に削られて丸くなった砂岩もゴロゴロ。
いったいこれは何なのか。宗教的施設というのが一番考えられるけど、1万年前という時期を考えると、どうなのか。
写真向こう側の、砂岩チャート混在の丸い礫集積遺構二つは、九州とかにあるような、煮炊きに使った遺構ということも考えられるとことのやけど、手前のチャートの列石は何なんのかまったく想像もできない。こういった出土例は全国にもなく、いったい何なのか。作業場、墓域という説、祭祀空間説、石材貯蔵場所説など、色んな説が考えられるけど、正しいところは永遠にわからないのかも知れません。ここは、調査終了後、埋められて宅地となってしまいます。1万年の時空を超えて僕らの目の前に出現した縄文人の痕跡は、再び長い眠りにつくのでした。
せっかくなので妄想してみました。このチャートの列石を向こう側からこっち向いて眺めると、二つの砂岩が「目」で、一番向こうの四角い大きなチャートが「顎」で、ヒトの「顔」を模した作品なのではないか。宗教的意味があるのか、それともただのアートなのかはわからんけど、縄文人がここにチャートを並べて「顔」を描いた、なんて考えると、楽しいねー。いや、妄想です。調査に関わった高知大学の宮里先生に「顔」説を話したら、笑ってました。そりゃあ笑うわねー。