孤蝶、藤村、飯倉片町、スペイン村〔7857〕2024/10/19
2024年10月19日(土)小雨
今朝、鏡川河畔を通ると、みどりの広場でなにやらイベントの設営が行われてました。雰囲気、ちょっと、ロハス。調べてみたらこれだ。「ヴィレッジ2024~モノと食、音が奏でる土日市」。なるほど。楽しそうやね。中央公園では「豊穣祭」も始まるし、高知の秋はいよいよ本番だ。
この河畔に、以前にも紹介したことのある花崗岩の碑が立ってます。正面には「孤蝶藤村交歓の地」と刻まれた、碑。
自由民権運動の闘士にして論客、馬場辰猪の弟が、明治から昭和にかけて活躍したロマン主義文学者の馬場孤蝶さん。東京の明治学院で、学友の島崎藤村と仲良くなり親交を深める。卒業後、帰高して学校の先生をしていた馬場孤蝶の元を藤村が訪ねて来たのは、明治26年2月23日のこと。
孤蝶はそのとき23歳で、藤村は20歳。藤村、北村透谷らの「文学界」に参加するのがこの年で、恐らくは孤蝶にも参加を呼びかけるべく、来高したんだと思われます。結果、孤蝶も上京することになり、文学者としての道を歩むことになる訳で、そのきっかけとなったのが、ここにあった宿なのでありました。
さて。昨日紹介したのが、島崎藤村が47歳から65歳まで過ごした家があった場所。これ読むとどうやら2階建てで、急坂の上。見晴らし抜群だったようです。飯倉片町。
そう。飯倉片町といえば、スペイン村だ。藤村宅がここで、以前にも紹介したスペイン村がここ。すぐ隣。しゅっと、隣。藤村は、この家に昭和11年まで住んでて、スペイン村ができたのは昭和10年。だから、完成したばかりのハイカラな街を、藤村は間違いなく見ていた訳だ。この、今も残る素敵なアパートメントを。
このページでわかるように、藤村も孤蝶も、お洒落でハイカラでした。コロニアルスタイルのアパートメントに、藤村がどんな想いを抱いたのかは、今はもう知るよしもないけど、結構好きだったんではないでしょうかね。
麻布台で藤村宅のすぐ横にスペイン村ができたのは昭和10年。その42年前、ここで、ハイカラな若者二人が交歓し、明治の文学を支えていったのでした。