鼬坂はイタチ坂〔7856〕2024/10/18
2024年10月18日(金)晴れ!
今朝は東京。業界の寄り合いで、昨日から来てます。全国から同業者が集まり、諸々の情報交換や勉強会などをやって来ました。会合後の懇親会で、静岡から来られた同業者の方と話してて、静岡市と浜松市の関係などの話題に。「静岡市は68万人しか居ないけど浜松市は78万人居るからねー」と、静岡市から来られたその方は嘆いておられたのでした。そうですかそうですか、と聞いておったんですが、よく考えてみたら、よく考えなくても、どちらも「高知県」より多いではないか。
高知県はついに人口65万人台になったから、静岡市に追い抜かれ、浜松市は遥か彼方だ。いや、そう考えたらなかなか厳しいねー。
今朝、5時に起き出して麻布台RUN。東京は起伏のある都市やけど、特にこの麻布台界隈の起伏は激しい。これは、同じ更新世段丘でも、皇居とか上野の山が武蔵野面であるのに対して麻布台は下末吉面であることに由来します。下末吉面は武蔵野面よりも古くて固い地盤なので、河川による開鑿が、急な斜面の谷を形成。なので、麻布台の坂は急なのであります。
ここは鼬坂。いたち坂。Googleマップで見るとこうで、この下に鼠坂があり、米国公使公邸の方へ上がる坂が植木坂。いや、鼠坂が別名鼬坂、とも言うので、この狭くて急な坂は鼠坂なのかも知れません。どうでもいいですが。で、どうやら狭くて急な坂を「鼠坂」ということは多いようで、都心部にもいくつかあるようですね、鼠坂。
この衛星写真では地形がわからんけど、地形図で見てみてください。坂でしょ?
地理院地図で見ると更によくわかる。この、起伏の激しいアップダウンを走りながら、ここが江戸湾に突き出した照葉樹林の台地であった時代に想いを馳せる。人が住んでない時代の風景を想像しながら走るのは、なかなか楽しい。
この写真左手にあるのは「島崎藤村旧邸」の碑。説明版によれば、藤村47歳から65歳まで、つまり大正7年から昭和11年まで、ここで暮らしたんだそう。もう、文豪と評されてた時代なので、その頃のこの界隈は、それなりに高級住宅街だったんだろうか。
突き当たりは外苑東通りで、麻布台ヒルズが見えてます。ナントカヒルズが林立し、異世界のような風景の東京。ここで暮らし、働き、生活している人たちには、人口65万人の高知県のことなど想像もできんでしょうな。
こういった都会で暮らす人たちが日本の政策を決めていく限り、本当の意味での地方創生は難しいねー、などとウダウダ思いながらの早朝麻布台RUN。
さあ、そんなことより仕事仕事!