伊達兵部さんと吸江〔7851〕2024/10/13
2024年10月13日(日)晴れ!
連休中日は良いお天気。昨夜、帰高してきました。秋の風が心地よいねー。汽車も混んでたし、あちこち人で溢れている秋。
今朝は会社で一仕事済ませてから、五台山を走ってきました。車道ではなくて、山道をあちこち。ヘビには出会えんかったけど、めっきりと秋めいてきた山を堪能。五台山はチャートの山であることを改めて実感したことでした。
一昨日昨日とお邪魔してた岐阜では、岐阜城址にも行ったけど、あの山「金華山」も圧倒的なチャート山。チャート好きには堪らない金華山。ロープウェイからも、チャートの巨岩を堪能することができますね。
今は鬱蒼とした樹々が生い茂り、チャートの露出も目立たない五台山。しかし、かつては、この樹々もなく、チャートの巨岩がゴロゴロの、現在の高見山のような見晴らしの良い山だったでしょう。五台山には、藩政期初期からの夥しいお墓が並んでます。それも、大きなお墓が多い。竹林寺や吸江寺が古くから展開する五台山には、やはり大きなお墓が多いのでありましょう。
ここは以前にもご紹介したことのある、伊達兵部さんの墓所。伊達兵部宗勝は、伊達政宗の十男。仙台藩のいわゆる伊達騒動の主人公のひとり。騒動後、幕府の裁可により土佐山内家預かりとなって土佐で亡くなった伊達兵部のお墓は、五台山の中腹にあります。
伊達兵部さんの、花崗岩でできた立派な墓石の前からは、こんな風景が見えます。木々の間から見える浦戸湾の佳景。実は。この目の前の木々だけ伐採され、海が見えるようになってるんですね。高知市がやったのかどうなのかは知らんけど、Good Jobやねー。
そう。かつて、五台山のお墓からは海が見え、城下町を見下ろし、地球の風景を楽しむことができた訳で、それを一部でも残そうという心持ちが嬉しいではありませんか。伊達兵部さんも喜んでいると思います。
この眼下は「吸江」。ぎゅうこう。
今月号の歴史民俗資料館の機関誌に、「吸江」の由来について書かれた記事がありました。1319年に土佐を訪れた夢窓疎石による命名というのは有名。その背景には、「一口に吸尽す西江水」という禅語があるんだそう。西江は、中国南部の河川で、その川の水を一口で飲み干せるほどに自分自身が空っぽ、つまり「無」でなければならない、という禅の基本姿勢を表した言葉、とのことですね。なるほど。
そんな吸江が木々の間から見える墓所。