大楠植村〔7847〕2024/10/09
2024年10月9日(水)晴れ!
今日もまた、合成地名の話。
昨日の徳王子村は、かつて存在した合成村名で、今も地名として残っています。しかしかつて存在しながら、今はもう忘れられってしまった合成地名というのも、あります。このリストを見てて、大楠植村という村が山田にあったのは、初めて知りました。世の中知らないことだらけ。知ってました?大楠植村。おおくすうえ村。
元々は、大法寺村と楠目村と植村だったのが、明治22年の町村制施行の際に合併し、それぞれの頭の文字を採って「大楠植村」。なんか、無理やり感満載だ。そんな取ってつけたような合成地名ですが、昭和29年位土佐山田町が成立するまで65年間も存在した、「大楠植村」。おおくすうえむら。我らが日章村よりも遥かに長い期間存在した村名やのに、今はすっかり忘れ去られた感があります。聞いたことあります?「大楠植村」。
地理院地図で見ると、この、雪ヶ峰牧場の山と土佐山田GCの山をぐるりと取り囲むように村域があったようです。この右上が大法寺、右下が楠目で、左端が植。なんでこんな村域の村をつくったのかは、わかりません。関係、往来があったんでしょうか。
この中で、一番山の中にあるのが大法寺。大法寺の集落から山道を登って行った山中に鎮座ましますのが、以前、2回ほど行ったことのある大法寺観音堂。近くには武田勝頼の墓と伝えられる場所があり、武田神社として祀られています。武田勝頼はこの地で没した、という伝説。
大法寺は、元々は大峰寺。山岳信仰、修験道の匂いがするねー。調べてみると、白山妙理大権現として信仰され、退転して大法寺。白山大権現は、白山の山岳信仰と修験道が習合した権現様で、本地仏は十一面観音。なので、大法寺観音堂のご本尊は十一面観音と思いきや、聖観音なんだそう。どうでもいいですか?
藩政期、大法寺山は、香美郡・長岡郡の南部16ヶ村の入会山だったとのこと。明治になり、明治26年からその16ヶ村が入会山所有権確定要求の訴訟を起こしたが、証拠不十分で、地元大法寺村27名に所有権が認められた「肥草山訴訟」は有名、と、角川「高知県地名大辞典」には書いてました。大変やねー。
大楠植村の西側では、同じく明治初期に水争いの訴訟で揉めに揉め、大審院裁定まで持ち込まれてるので、農業の権利関係をめぐっては争いが絶えんかった地域だったようです。
水争いは甫喜ヶ峰疏水で解決し、入会山争いは肥料の発展で、問題にならなくなりました。
大法寺村と楠目村と植村の合併に際し、それぞれの頭の文字を採用した村名になったのは、村同士の微妙な力関係の帰結だったのかも知れません。僕らが思っているよりずっと地元意識が強く、利害が錯綜していた、その結果としての「大楠植村」だったのかも知れない、などと思ったのでした。
写真は、大法寺の集落から物部川の方へと抜ける峠。ここを土讃線が走り、なかなか素敵な風情になっています。朝の汽車が走り抜けていく峠道。
それはそれとしていいお天気。さあ、仕事仕事!