合成地名、徳王子〔7846〕2024/10/08
2024年10月8日(火)曇り
以前、香我美町岸本にあった陸上自衛隊高知駐屯地は、南海トラフ地震津波対策ということもあり、徳王子の北の山中に移転しました。2010年のこと。もう14年前になるのか。東日本大震災前やったんやね。用意周到。
徳王子という地名は、いわゆる「合成地名」。このリストの中にも出てきます。日高村が「日本」と「高知」の合成地名であるのかどうなのかは知らんけど、徳王子が「徳善村」と「王子村」の合成地名であることは、疑いの余地も、ない。
王子村は、村内に若一王子宮が存在することからついた村名でしょうか。南国市界隈もそうやけど、この界隈も、熊野信仰の色合いが非常に濃い地域やね。土佐の宗教、信仰と熊野の関わりは、今の僕らが思う以上に深かったと考えられます。
王子村の東にあったのが徳善村。この地名は、南北朝期に既に確認できる地名で、古い古い土地であるようです。戦国期、徳善城主公文将監が、長宗我部国親に責められた介良城主横山氏を救援に向かったけど、物部川を渡るのに手間取って機を逸した、という話が「土佐物語」にあるそう。
そして徳善村には、古窯の遺跡も。その古窯趾からは、なんと7~8世紀の須恵器、瓦窯が出現したとあるから、すごい。まさに、土佐に律令制が導入されようとしていた時代。中央集権の力がようやく土佐を支配地に組み入れようといた時代。そんな時代に窯があった、ということ。土が良かったんでしょうかね。地層としては四万十帯。後期白亜紀海成層の付加帯で、砂岩。
明治4年、王子村と徳善村が合併して徳王子村。
太平洋戦争中の昭和17年、徳王子村が山南村、富家村、香宗村と合併し、大忍村(おおさとむら)。
昭和23年、大忍村が再び元の4村に戻る。なんででしょうねー。合併解消で元に戻る、ということがあった訳だ。
昭和30年、香我美町大字徳王子に。
平成5年、一部が赤岡町に編入され、「香我美町大字徳王子」と「赤岡町大字特王子」にわかれる。
平成18年、香南市に組み込まれ、町がわかれていた「徳王子」が一緒に戻って「香南市香我美町徳王子」となる。
なかなかの紆余曲折やねー。離れたりくっついたり離れたりくっついたり。
熊野信仰の色が濃い「王子村」と、律令以前の歴史をもつ「徳善村」が一緒になって「徳王子」。日高村とは違って、正統的「合成地名」の「徳王子」。この写真の眼下界隈に、古窯があったとされてます。