フィリピン海プレートと淡路島〔7844〕2024/10/06
2024年10月6日(日)晴れ!
今日は所用で本州へ。ここは淡路島。淡路サービスエリアから明石海峡大橋を眺めてます。かつて、徳島藩蜂須賀家の領国だったにも関わらず、明治3年の庚午事変がきっかけとなって兵庫県に編入されることになってしまった淡路島。もし、徳島県になっていたら、徳島県は今よりももっと関西寄り、関西向いた県になってたんでしょうかね。さて。
昨日、日高村のこと書いた中で、仁淀川の穿入蛇行と鮎のことに触れました。山の中を大きな川が蛇行することで鮎の生息環境が良くなった、という話。なんで山中を大河が蛇行するようになったのか。それは、かつて平野部を蛇行していた川が、その平野部が隆起してしまったから。
なんで平野部が隆起したのか、というと、約300万年前にフィリピン海プレートが太平洋プレートにぶつかり、北上していたものが、少し西向きに方向転換したことによる、と推察されます。
フィリピン海プレートが西向きに動き始めたことにより、日本を代表する横ずれ断層、中央構造線が発現したのはご承知の通り。
そして、以前も書いたように、東から西に押されることでシワシワができて、仁淀川の穿入蛇行が形成され、瀬戸内海では東から西に隆起と沈降が交互に繰り返す地形ができました。いや、もっと東から。
大和山地が隆起し、奈良盆地が沈降し、生駒山地が隆起し、河内平野が沈降し、上町台地が隆起し、大阪湾が沈降し、そして淡路島が隆起する。播磨灘が沈降し、備讃瀬戸(塩飽諸島)が隆起し、燧灘が沈降し、しまなみ海道が隆起し、そして伊予灘が沈降する。西へ行くほど隆起と沈降の間隔が広くなるのは、フィリピン海プレートと太平洋プレートがぶつかった場所から遠くなるからなんでしょうね。
そんな訳で、仁淀川で鮎の生育環境が良くなったのも、淡路島ができたのも、大和朝廷が成立したのも、全部、フィリピン海プレートが太平洋プレートにぶつかったお陰様。
淡路島とか塩飽諸島とかしまなみ海道の隆起がなかったら、こうやって自動車で関西へ向かうことはできんかった訳で、地球の営みに感謝しつつ、淡路島を通過。まもなく、本州。