北極星、妙見様、13000年後、26000年後〔7832〕2024/09/24
2024年9月24日(火)薄曇り
いやホント、暑さ寒さも彼岸まで、とはよく言ったもの。お彼岸前には、お彼岸過ぎたらこんなに涼しくなることが想像できんかったねー。日中は暑いけど、朝晩の涼しいこと。この変化が劇的だ。
雲が多い空やけど、夜明け前の空にはもう、冬の星座。そんな中、今朝は本社棟の2階から北極星界隈を撮影してみました。
中央少し上にカシオペア座のWが見えますでしょうか。それを目印に右下へと辿っていくと。NTTドコモの鉄塔の、上から3つ目の菱形の右下にポツンと見える星。北極星だ。ポラリス。現在、天の北極から視野角で1度だけずれている北極星。なので、真北ではなくて、満月3個分の円を描いて回っているとのこと。
天の北極は、地球の歳差運動によって、26000年の周期で変遷しており、AIによる概要によりますれば、2000年後にはケフェウス座のてっぺんの星、8000年後にははくちょうざのデネブ、13000年後にはこと座のベガ、そして26000年後には再び現在のポラリスが北極星になる、ということ。
人類は、どの辺の北極星まで見ることができるんでしょうかね。このまま地球環境が変化していくと、そんなに先まで人類が繁栄できんかも知れんね、などと思うのでした。
北極星。日本でも昔から、北極星や北斗七星に対する信仰ってありました。いわゆる妙見信仰が代表。この信仰は、仏教からきた訳やけどインドの仏教ではなくて、中国の星宿思想が仏教を取り込んで北極星を神格化したもの。道教由来。なので、一般に「妙見」というと「妙見菩薩」なのに、インド由来の菩薩とは区別されてて、大黒天や毘沙門天、弁財天と同じ格に分類されているとウィキに書いてますが、ついてきてますか?
で、江戸時代までは、「弁天様」「大国様」と同じように「妙見様」と呼ばれ、神仏習合で信仰されてたのが、明治維新時の神仏判然令で「お寺はお寺」「神社は神社」とすることに強引に推し進められて、それぞれ、市杵島姫(厳島神社)、大国主神、星神社となった話は、以前、結構詳しく書いてますね。
こないだ、律令時代に香美郡衙が置かれたであろう場所が、今、星神社になっている、という話を書きました。当然、明治になるまでは妙見様。
妙見信仰が日本に伝わったのは7世紀やけど、いつの頃から香美郡衙が妙見様になっていったのかは、わからない。ただ、7世紀頃の天の北極と現在のポラリスは今よりもずれておったと思われるので、どちらかと言えば北斗七星信仰だったのかも知れませんな。
南国市明見の妙見様の社殿は、正確に真北を向くように建っています。が。この香美郡衙跡地の星神社社殿は、香長条里に沿うように東へ10度ばかり振った角度。この南西の少し曲がってS字になった道路が気になるねー。ひょっとしたら、かつての社殿は真北向いて建っており、このS字カーブはその頃の名残、痕跡なのではないか、などと妄想するのでしたが、どうでもいいですか?
ともあれ、まだまだ日中は暑いけど、空は少しづつ澄んだ秋空に。こと座のベガが北極星になり、再びポラリスが北極星になる頃まで人類が栄えておりますように。それには、地球を大切にしないとね。