宝塚〔7826〕2024/09/18
2024年9月18日(火)晴れ
今朝は宝塚。宝塚に泊まるのは生まれて初めてやね。武庫川沿いの美しい街、宝塚。中学3年生の時、甲子園在住の親戚のお姉さんに連れられて宝塚歌劇を観に行ったこと、覚えてます。あんな世界もあるんだ、と、感心したことでした。もう、半世紀近くも前のこと。
宝塚というと、小林一三を思いだしますね。阪急電車の前身、箕面有馬電気軌道の専務として辣腕を奮い、それまでの都市間交通が主体であった都市近郊の鉄道から、鉄道が新しい街を創造する、という新しいビジネスモデルを確立した初めての事例、ということで宝塚や箕面のことが語られます。
今朝もそのこと書こうかと思い、少し調べてたら、色んな興味深い話が湧き出てきました。いや、宝塚、恐るべし。なかなか波瀾万丈で面白い歴史があるね、近現代の宝塚。
ウィルキンソンの炭酸、宝塚発祥ってご存知でしたか?迂闊にも僕は知りませんでした。多くの皆さんと同じように、海外発祥とばかり思っていたウィルキンソンのタンサン。
明治22年に、武庫川のほとりで湧き出る水が炭酸鉱泉であることを知ったイギリス人のウィルキンソン氏が、その水を瓶詰めにして発売することを思い立ってそこに工場を設立、事業を始めたのが、ウィルキンソンの炭酸の始まりなんだそう。で、工場見学への客を誘致する為に「タンサンホテル」を作ったりと、色々と活躍してますね。そんな温泉場、宝塚に、阪急の前身である箕面有馬電気軌道が梅田からつながり便利になる。そこに、人々を呼び込むための遊覧施設を作ろう、と考えたのが小林一三で、箕面に動物園、宝塚に大浴場と家族温泉をつくったのでした。
ところが宝塚の大浴場、プールの施設は失敗。そこでそのプールの大きな施設を改築してステージをつくり、少女たちを集めて歌劇団を結成し、成功を収めていく、というストーリー。
ところで、近代の宝塚温泉が発展するきっかけとなったのは、ウィルキンソン氏が炭酸水工場をつくる直前のこと。
川面村に住む岡田竹四郎が、大阪で搾乳業と牛乳店を営む小佐治豊三郎という人物に、現在の宝塚市桜ヶ丘界隈の田んぼの開発に、豊三郎の牛馬の力が借りられないか、と相談したのでした。現地へ赴いた豊三郎、その帰りに、竹四郎から「酸い水」と「しおからい水」が湧く場所があると教えられ、飲んでみるとおいしかったので、知り合いの医師に送ってみたところ「絶賛」。
そこで「温泉場」を開設しよう、ということになったのが、宝塚温泉のはじまりなんだそう。開業は明治20年5月。その2年後にはウィルキンソン氏が事業を始めている、という訳だ。
ちなみに、その「宝塚温泉」発祥の地であり、炭酸水を汲み上げていた場所はここで、ウィルキンソンだけを販売している自販機があります。
「宝塚」という地名由来はこれ。なるほど。
宝塚発展のはじまり、黎明期に、搾乳業、牛乳店を営んでいた方が関わってたのも、知りませんでした。いやー、世の中知らないことだらけ。
写真は、宝塚温泉からウィルキンソンの工場があった紅葉谷の急坂をどんどんどんどんと駆け上がっていった標高250mの展望台からの日の出風景。きれいやねー。