河野さんと刈谷さん〔7814〕2024/09/06
2024年9月6日(金)晴れ
朝晩、涼しくはなりました。日中は暑いけど。これで乳牛も元気になって搾乳量が増えてくれたら嬉しいですが。
さて。先日、「司亭升楽のタタキ寄席」のこと、書きました。RKCラジオで僕が子供の頃にやってたやつ。調べてみますれば、その番組が始まったのは昭和46年。1971年。僕が10歳。なるほどなるほど。
♪いーちぢゃーものー
のオープニングはよく覚えてますきんね。で。こんな本、買ってしまった。
「土佐落語 司亭升楽のタタキ寄席 第三集」
ラジオのタタキ寄席が始まった経緯とかは知らんかったけど、どうやらこの本を書いたRKC高知放送の河野裕さんという人物が仕掛け人のようですね。
司亭升楽さんの本名は刈谷さん。南国市出身。12年間の役所勤めの後、タイプ印刷店に勤務しつつ隠し芸で子供の頃に聞いた土佐小話を楽語にして評判となり、司亭升楽を名乗って活動を始めた、とあります。どうやら、司亭升楽さんに目をつけたのが河野裕さん。「土佐落語」と命名してラジオ番組に仕立て上げ、人気を博していった経緯が、この本の「あとがき」から窺い知れます。
ラジオ番組「司亭升楽のタタキ寄席」は、「土佐落語の創造に寄与」したとして中四国地区の放送活動部門でグランプリを獲得し、中央審査に駒を進めた、と書いてあります。中央審査でどうなったかは知らんけど、とにかくこの番組が「土佐落語の創造」であったことが、わかる。そう。「創造」だったのだ。
恐らくは司亭升楽さんと河野裕さんの二人三脚で、土佐各地に残る小話や伝承、逸話を収集し、落語に仕立て上げていったのでありましょう。
この本の逸話には、南国市や土佐山田界隈のものが多く、そして土佐弁もその界隈の深くて濃い土佐弁。これは、司亭升楽さんが南国市出身だったことにも起因するんでしょうか。それにしても、下ネタが多いねー。この本の前半は、ほとんど下ネタ。昔の土佐人の娯楽、感性がよくわかります。河野さんも、ラジオにするには苦労されたんではないでしょうか。
どうやら河野さんは、RKC社内でも、土佐の歴史文化といったものを得意としてたみたいですね。あと、フェスティバル土佐「鏡川まつり」や「ふるさとまつり」の企画演出も担当してたと言いますきに、なかなかのもの。
高知新聞社で「くろしお博」を担当した、僕の土佐史の師匠Tさんもそうやけど、地元メディアには、高知の歴史文化民俗に精通しつつ、土佐に根差した企画を立案実現していく能力を持った方々がいっぱい。そんな時代があったことを、このCDや本は教えてくれます。