大津城の天竺花氏〔78〕2003/07/03
2003年7月3日(木)雨
今朝は高知市東部、大津地区方面まで遠征しておりました。写真の川は「舟入川」。
「土佐日記」で有名な紀貫之(きのつらゆき)が、土佐国司の任期を終えて、京に向かって船出をしたのがこの辺りと言われております。西暦934年12月のことです。お別れの宴会が急遽飛び込んで来たりしまして、せっかく浦戸までいったのにまた引っ返して来るなどの騒動をしながら、京へたどり着いたのが翌年2月と言いますから、時間がかかっちょります。
向こうに見える山は、戦国の昔、土佐守護代細川氏の流れをくむ「天竺右近花氏(てんじくうこんはなうじ)」という人物が「大津城」を築いた山です。登ってみますと、詰の段や空堀跡が面影として残っちょります。水運の利を活かして、勢力を伸ばしておりました。が、天竺右近花氏は、西暦1547年頃、長宗我部国親(元親の父)の襲撃を受けて破れ去ったそうです。
この界隈は、あまり知られてない古い土佐の史跡が結構ありますので、ひまわり太郎も以前子供を連れて探検したことがあります。またの機会にご紹介していきますね。