震洋、回天の記憶〔7793〕2024/08/16
2024年8月16日(金)晴れ!
8月16日で忘れてはならないのが、第128震洋隊の悲劇。昭和20年8月16日、終戦が発表された翌日、誤情報による誤命令で、出撃しようとした住吉の第128震洋隊で引火大爆発が起き、111名の犠牲者を出したという悲劇。ここで詳しく書いてますが、あれからも11年が経過し、今日で79年目。
ベニヤでつくったボートに火薬を搭載し、上陸してくる米軍に特攻する、という無謀な作戦は、尋常な精神状態、思考では考えられないようなもの。そんな作戦が立てられるほどに異常な状態を、異常と感じることができないようになる空気感が恐ろしい。
その誤命令が発せられたのは、震洋隊須崎本部。以前、紹介したことのある呉鎮守府第八特攻戦隊第二十三突撃隊本部が置かれたのが、須崎。
震洋は、海岸各所に基地が設けられました。先日の高知新聞に、土佐清水市にある第132震洋隊の格納壕などが市の文化財に指定された、という記事が載っておりました。非常に保存状態の良い、格納壕。
須崎の第二十三突撃隊本部が管轄していたのは、ベニヤ板製モーターボートに250kg爆薬を装備した「震洋」や、頭部に1600kg爆薬を装備した人間魚雷「回天」。
この時期に放送される戦争特番でよく紹介されるのは、その人間魚雷「回天」。回天も、高知の海岸にはたくさん配備されたのでした。
浦戸湾には、第127震洋隊がありました。そして、回天の部隊も。浦戸の司令部はここ観海亭に置かれ、将校はこの家などに分宿していたと言います。以前、湾岸にある格納壕を探検しに行ったこともあります。
今朝の写真は、桂浜から浦戸城址の山へ上った場所。高知県立坂本龍馬記念館が、その威容を誇っている場所。左側は以前からある記念館で、右手が近年できた新館。この新館の向こう側の野外に、以前、回天が展示されてなかったでしょうか。ここ。何でこんなところに潜水艦が、と思ってた記憶があります。今にして思えば、浦戸にあった震洋、回天の記憶を後世に伝えるものだったのかも知れない。あの展示、今はどうなっているんだろう。今朝、この界隈を歩いてみたけど痕跡すら見当たりませんでした。
来年で80年が経過するけど、こんな時代だからこそ、残しておきたい記憶も、ある。