スタジアムとアリーナと高知駅とイオンと路面電車〔7773〕2024/07/27
2024年7月27日(土)晴れ
昨日は、南国・香美・香南酪農振興協議会総会でした。お昼から、野市で。で、総会終了後は懇親会。野市で。
酪農家さんたちと昼間っから飲むのはいつものことで、なかなかに有意義な時間を過ごさせて頂きました。円安やウクライナ戦争の影響は大きく、まだまだ飼料価格の高騰は続いていて、今年も厳しい夏を迎えている酪農家さんたちですが、それでも元気に、色んなお話をすることができました。高知の酪農家さんたち、頑張ってます。
それにしてもこの暑さ。尋常ではない暑さの中、元々寒冷地が故郷となる乳牛たちは、結構なダメージを受けています。6月から乳量が目に見えて減ってきました。暑いと、ダメージで乳量が減ってしまうのであります。今は夏休み中なのでまだいいですが、9月、学校給食が始まってからが正念場。酪農家さんや牛たちの頑張りに期待しましょう。
そんな訳で、昨日は、車を会社に置いて帰ってましたので、今日は久々に会社まで走りました。炎天下RUN。いやー、暑い。暑いね。大量に吹き出した汗で、まるで泳いできたかのようにずぶ濡れ。水分補給と牛乳補給が大事やねー。
ここは南国市後免町。電車通り。「土佐電気」の後免線、つまり高知市内から後免へとつながる電車の路線が開通したのは1925年(大正14年)2月なので、来年で100年だ。NHKの朝ドラ「あんぱん」放映の年、やなせたかしさんが小学校2年生から18歳までを過ごした後免につながる路面電車開通から、丁度100年を迎えるのでした。やなせ少年、お父様が大陸で亡くなり、母と一緒に高知へやって来て、母の再婚によって後免で医院を開業していた伯父の家に住むようになっのが1926年のこと。なので、後免まで電車が開通した翌年のこと。「日曜日になると電車に乗って高知市にいる母に会いに行った」のは、まだ開通したばかりの電車だった、という訳だ。
恐らく、最初は電車が走るだけの場所だった、この場所。そこが国道55号となったのは昭和27年。それにより「電車通り」の風景は一変したと思われます。
路面電車と公共交通。富山や宇都宮、そしてヨーロッパの例を見るまでもなく、都市計画、まちづくりの一環として捉えるべき路面電車。
こないだ、桟橋通りの県民体育館で福山雅治のライブがあり、電車はどれも超満員だった、と言います。で、県民体育館も老朽化が進んでいるので、今後、どのようにするのか検討委員会が立ち上がっている、とも聞きますね。数千人規模のアリーナでしょうか。
南高校の跡地の問題も、あります。あそこにサッカースタジアムを、という話もあるみたい。どちらも、新施設にはもちろん津波避難機能アリ。
高知にJを、という話で一番課題となるのは集客やけど、春野は遠いねー。しかも今、なんと、春野運動公園には路線バスが走ってません。公共交通機関で行けないスタジアムって、ちと、厳しい。この酒飲み天国高知では、尚更だ。
桟橋のサッカースタジアム、アリーナ、そして高知駅の下を潜ってイオンと繋がった電車ってのは、街づくりの方向としては間違ってないような気がする。これはとさでん交通さんの「救済」ではなく、新しいまちづくり。なのでもちろん上下分離方式やね。
いかん。電車を見ると興奮してしまう上に、暑さで頭が妄想を暴走させる。しばし、身体も頭も冷やしましょう。