松山城下と高知城下、伊予鉄ととさでん交通〔7767〕2024/07/21
2024年7月21日(日)晴れ!
今日も炎暑。猛暑。朝から夏のお日様がギラギラ。
そんな午前中、また北山、小坂峠まで駆け上がってきました。いや、暑いっす。暑い。水分補給をこまめにしながら、それでもちょっとクラクラくる暑さの中を駆け上がると苦し気持ちいいね。峠のガソリンスタンドには海抜311.7mという表示があって、そこで飲むスポーツドリンクの味は格別でございました。
峠から少し県道を下ったところで、今、道路工事やってます。確かに頂上直前のところが結構クネクネしている県道なので、そのクネクネを無くそうとしてるんでしょう。
で、その工事をやっているところからの眺望が、今朝の写真。いや、なかなか素晴らしい眺望で、高知の市街地が一望にできますな。
昨日は、瀬戸風峠から松山市を見下ろしたけど、今朝は小坂峠から見下ろす高知市。市街地の、右端のところに高知城の山、大高坂山が見えます。
昨日のにっこりにも、藩政期初期の加藤嘉明が、本拠の城を築く場所を3箇所、家康に上申した話、書きました。で、その三つの候補地を昨日眺めた訳やけど、山内一豊さんは、お城をどこに築いたら良いか、家康にお伺いを立てたりはせんかったんでしょうかね。あんましそんな話、聞いたことないし。最初から大高坂山一択だったんだろうか。
ご承知のとおり、土佐へ入国してきてまず入ったのが浦戸城。すでに、長宗我部元親さんが築城してたので、ますは浦戸へ。しかし、城下町を建設するスペースは無いので、最初から大高坂山に目をつけていたでしょうか。
浦戸城は、この左手の浦戸湾の向こう端、出口。こうやって見下ろしてみると、他には筆山とかも候補になりそうやけど、結局は大高坂山しかない、と家康に申し上げたんでしょうかね。藩政期の城は、平地に単独で聳える山に築く、というのが一般的だし。
高知城と松山城。高知と松山。
一昨日、伊予鉄の路面電車に乗り、昨日はとさでん交通の電車に乗りました。伊予鉄のお客さん、8割くらいのお客さんがマスク着用してたけど、とさでん交通のお客さんのマスク着用率は2割くらい。やはり、いろいろ、違うねー。